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ブックマーク / kame710.hatenablog.com (12)

  • 2017.5.18 エピクロスの言葉 - カメキチの目

    カメキチの目 先日のこと。 「はてなサン」から知らせがあった。それはきょ年やおとどしのあなたの記事をふり返ってみませんか、というもので、1年以上やっている方には「ああ、アレ!」とおわかりいただける。(アレです) 一瞬、面倒くさいなと思ったがめげず、ためしに2年前のヤツを見た。 その記事は、「死」について古代ギリシャのエピクロスの言葉だった。大好きな仏教家(坊主ではありません。いちおう仏教学者で、ご人は「仏教者」と言われています)ひろさちやさんのに載っていたものを読んでの私の感想だ。 いま、これを見て(読んで)思った。ちっとも自分の死生観は進歩していないなあ、と。 でも、「これでいいのダ!」 「真実は、美と同じくシンプル」 あれから2年たったが、自分なりに触れた死生観の言葉。なかには気にいったのがあったが、それらはけっきょく、「言いまわしは複雑、長く、違っていたが、別な言葉に置きかえただ

    2017.5.18 エピクロスの言葉 - カメキチの目
  • 2017.5.11 「偶有性」④ - カメキチの目

    カメキチの目 先に「他でもあり得た」といったけれど、 それは自分が自分であった必然性はないということだと茂木さんは述べていた。 彼(彼女)とめぐり会っていなく、他の彼(彼女)といっしょになっていたかもしれない。あの学校に行っていなくこっちの学校へ、この会社に就職していず、あっちの会社にいっていたかもわからない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その際、私が他の誰かでもあり得たとき、その誰かと私は、同じように人として尊重されなければならない。 彼(彼女)と私は「等価」なのである。対等である。 つまり、「もし私がAさんだったなら…」 Aさんの気持ち、立場をていねいに想わなければいけないということだろう。 茂木さんは書いている。 「…このような仮想の背景にあるのは、他人にも自分と同じようにうち震える意識があるという前提である。『今、ここ』に自分がいるという逃れようのない思い。

    2017.5.11 「偶有性」④ - カメキチの目
  • 2017.5.4 「偶有性」②  - カメキチの目

    カメキチの目 このは学術書ではない。 著者の茂木健一郎さんは脳科学者だけど、「右脳が…左脳が…」とか「大脳皮質頭頂部が…」という解剖学的な、読者の頭がガチガチになってくるような専門的な語彙はあまり使わず、やさしい言葉で語りかけてくる。 話の内容は、脳科学による生き方のヒントみたいな感じ。 私は、の題名にもある「偶有性」という言葉にこのではじめて接しました。 この言葉・概念のほかに「クオリア」というもの(こっちも名前だけ聞いたことありました。「なに、『クリオネ?オホーツク海と関係あるのか』と勘違いした)も使って「生命」の働き、つまり「生きる」ということを述べられます。 読みはじめからそう感じさせ、長続きが苦手の私だが、踊るような気持ちが最後まで続き、完読した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー はじめは、「偶有性」とは何か? ということが平易に書かれる。 「生きる」ことは

    2017.5.4 「偶有性」②  - カメキチの目
  • 2017.4.30 「偶有性」① - カメキチの目

    カメキチの目 世がぶっそうになってきたこともあり、「人間」も、あくまでも動物の一種にすぎないという自覚を、近ごろ強く持つようになった。 人間だからといって、ちっとも特別な存在、エラいのではない。 「悪知恵」が働くなら、そんな知恵、脳などいらない。 人間が動物以上にすばらしく思えるときもあるけれど、いまの世の中は動物以下だと思えてしかたない。 これは「国家」社会に生きている次元の人間のことです(小さい社会、家族や地域、個人のレベルでは無限にすばらしい、感動を受けるできごと、ドラマがある)。 先日、目を疑うようなヤフーニュースがパソコンに出ていました。なんと核シェルターが(お間違えのないように。これは日のニュースです)よく売れているらしいとのこと。おカネがあれば購入は自由なのでしょうが、買うより先に、日国民みなが被害に遭わぬように一人ひとりが考えることが先だと思うのですが…。「そんなことす

    2017.4.30 「偶有性」① - カメキチの目
  • 2017.4.23 いのちの洗濯 - カメキチの目

    カメキチの目 大げさだが「いのちの洗濯」と称し、ある温泉地に行った。 死ぬまではいのちは続いているのだから、いのちも更新しなくてはいけないです。 そこは「日帰り湯」もしており、泉質がすばらしく、しかも源泉かけ流しなので、銭湯代わりに地元の方々もけっこう来られていた。 リラックス、「いのちの更新」が目的なのに、最近の世のなか事情は気味わるく、ぶっそうなできごとが続いているので、そういうことが脳裏をかすめ、湯はすばらしくても、半分しか楽しめなかった。 心までは「洗濯」できなかった。 が、ちょうど桜が見ごろで、ほかにも春の花々が美しく、天気もよかったので、「半分しか楽しめなかった」というのは帳消し。 それをじゅうぶん補ってもなお余るほど楽しんだ。 泉質は、いわゆる「ツルツル」「スベスベ」になるPHが高いアルカリ性で、私がなってもしかたないけれど、「お肌美人」になった。 風呂での想いは、激しやすい

    2017.4.23 いのちの洗濯 - カメキチの目
  • 2017.4.9 「強い者…」の続き - カメキチの目

    カメキチの目 『強い者は生き残れない』を書いたときブックマークに、ある方が内田樹という人文系の学者さんのブログ記事を教えてくださった。 (Kenchan3さん、とてもよかったです。ありがとうございました) ところで、ご紹介の記事を多くの方に読んでいただきたく、《前に内田さんのを読んだとき、ご人が『ブログで書いたこと。気にいったら著作権など問わないから勝手に使っていい』とあったので》ここにも貼りつけさせていただきました。 http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.php 内田さん、ありがとうございます。 その記事で内田さんは、有名な映画『七人の侍』の主役七人それぞれの個性を論じ、その個性がうまくかみ合って結びついたとき、つまりお互いが助け合い、力を合わせるとき、そこに1+1=2ではなく4にも5にもなることを「組織論」として展開されていた。 それは「映

    2017.4.9 「強い者…」の続き - カメキチの目
  • 2017.4.5  『強い者は生き残れない』 - カメキチの目

    カメキチの目 実生活が単調で、動くことがきわめて少なく、ナマコ然としています。 ずっとナマコでいたいのですが、「銃剣道」も「教育勅語」もあり、おだやかではおれません。 「銃剣道」「教育勅語」 誰が何のために、こんな、今まで持ち出されなかったようなものを出してきたのでしょう? 初めから横道にそれ、すみません。 ブログを始め、狭いせまい自分の世界が広がった。 なかに、生物のことを書かれている方がいる。その方のおかげで、「生物」について知りたいと思うようになった(「少年シニア」さん、ありがとうございます)。 『強い者は生き残れない』というを読んだ。 「きっと題名にひかれたんだろう」と想われたでしょうが、そのとおりです。 著者は吉村仁という生物学者。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー また題から少しはなれますが、前置きとしてお聞きください。 私の10代の終わりころ、ベトナム戦争

    2017.4.5  『強い者は生き残れない』 - カメキチの目
  • 2017.4.2 鳥肌が - カメキチの目

    カメキチの目 立った。 ぶったまげた。 テレビニュースで聞いた。 こんどの中学校保健体育の「学習指導要領」に、なんと「銃剣道」がとり入れられるとのこと。 「エイプリルフール」はきのう。聞いたのはおとといだったので、冗談、ホラ話ではない。 「銃剣道」? ちなみにネットで調べると、 (『ウィキぺディア』にはこうありました) 銃剣道(じゅうけんどう)は、明治時代にフランスから伝来した西洋式銃剣術に日の槍術の心技・剣道の理論等を日人に合うように研究・改良されて成立した銃剣術が1956年に近代スポーツとして競技武道化したもの。剣道のような防具を身に付けて竹刀の代わりに木銃(もくじゅう)を用いて相手と突き合う競技である[1]。競技人口は約1万1000人(2015年)で、剣道の約184万人(2016年)の60分の一であり、その8割は自衛隊関係者である。 「森友」でにわかに『教育勅語』という言葉を聞き

    2017.4.2 鳥肌が - カメキチの目
  • 2017.3.16 フェーク - カメキチの目

    カメキチの目 ずっと前のことだが、「フェーク」がどうのこうの…とテレビが言っていた。 フェーク? ネット辞書で調べたら、 〔いかさまの意〕 ① 模造品。にせもの。 ② アメリカン-フットボールで、攻撃側の選手が相手をだますためにしかける行為。 ③ メロディーをある程度の装飾的な変化をつけて演奏すること。 とあった。 (ニュアンスは違うが)「ウソ」である。ようするに事実ではないということか。 自分の側につごうのいいように、事実をねじ曲げるということでもあろう。手が込んでいるんだな。 「ウソも方便」ですませられる、そんなカワイイものではないようだ。 私は来的にいい加減だからか、「ウソ一般」が悪い、いけないとは思っていない。 この点で、細かいことにもうるさい(ウソはいけないと言う)ツレとはよくケンカしました(いまも)。 だから「ウソも方便」はありうる(正しいとは思わない)と信じている。ただし、

    2017.3.16 フェーク - カメキチの目
  • 2017.3.6 『見えない貧困』 - カメキチの目

    カメキチの目 何かを見ていたら、何かは見えない。 あることに気をとられていたら、注意していたら、ほかのことには気が向かない。 あたり前のことですね。でもふだんの生活はそれに追われていて、なかなかじっくり思うことではありません。 『見えない”貧困”』(2月12日のNHKスペシャル)は、見ようとしない限り、見えないに違いない。 安倍首相や政権の面々には、貧困は見えているはずです。 見えていても「見えないフリをする」しかないのでしょう。 見えるのは日国経済(大企業)とトランプの顔色だけ。一挙手一投足にビクビク… もちろん、日は自由主義社会なので、何を見ようがどこを向こうが「自由」。 何に価値をおいても自由。 かの独裁国も戦前の日も、自由はなかったので「見る」ものも「向く」向きも決められていた。現代でも森友学園のように、子どもを同じひとつの方向に向かわせようとしている。 その点で、北朝鮮も旧

    2017.3.6 『見えない貧困』 - カメキチの目
  • 2017.1.2 あけまして… - カメキチの目

    カメキチの目 あけまして おめでとうございます。 年も よろしくお願いします。 -松樹千年翠 不入時人意- (しょうじゅせんねんのみどり ときのひとのこころにはいらず) 曲がりくねった幹、その先っぽには空に向けて開いて年じゅう緑を絶やすことのない針のような葉をつけた枝。 自在に伸びひろがる松の姿がイメージされ、そんな松みたいな人になれたらなぁーとあこがれる。 日では古来、変わらぬ緑が縁起のよいモノ、めでたいモノの象徴の一つにもなり、(ちなみにあまり意識しないのですが、自分もめでたかった)あちこちの庭園に植えられ観賞され、昔は街道筋には目じるし代わり、防風(砂)林にと有用的にも使われてきた。 赤松林には希少なマツタケも! それは昔から誰でも知っているおなじみの樹。 松の葉は、常緑だが、それは人にはいつも緑にみえるということであり、松の中では、季節とともに人しれず古い葉は落ち、新しい葉に変

    2017.1.2 あけまして… - カメキチの目
  • 2016.12.30  年の暮れにあたり - カメキチの目

    カメキチの目 暮れになり、ふっと思った。 大掃除とか来年の抱負ではない。 また、ブログのことを。 「なにを書こう?」「なにを書いたら…」 ということではない。 忙しくしている人、働いている方で、ブログをするのはたいへんだろうということ。まして今は「年の瀬」。 ブログをけっこう長くやっていると、何人もの読者の方が離れていかれます(いかれました。私がイヤミな記事を載せたからではありません《とは断言できないか…》)。 ときどき、「はてな」さんのトラブル・ミスで勝手に読者登録が解除されていて驚くことがありました(あります)。みなさんも気をつけてください。 私は、離れた方というのは、「やめられた」か「長い休みに入っておられる」か「書くのはやめて、読む方に専念されている」と思っています(いや、他のブログに移られたのか)。 また想像します。更新するのがむずかしいほど仕事に追われたり、あるいは突発的な用事

    2016.12.30  年の暮れにあたり - カメキチの目
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