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ワタミの事件の件で、 今ワタミ会長に最も送りたいマザー・テレサの言葉「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」 という話が。 この話の主題は全く正しいのであるが、それがゆえに「偽善行為」が不当に貶められるのではないかと危惧する。前にも書いたが、「偽善」は良いことだと思っているからだ。 動機が不純な善行は、「偽善」と呼ばれる。そういった意味で、あーゆー事件を起こしつつ、身近な社員を大事にしないで、寄付行為をするワタミの社長は偽善者の謗りは免れないだろう。でも、あれはむしろ「動機が不純な善行」と言うよりは、 悪行の言い訳 だと断じられてもいい。 そういったことを孕む「偽善」であるが、私は「偽善」はもっと評価されるべきだと思っている。なぜなら、 純度の高い善行より持続可能性が高い 可能性があるからだ。 「偽善」には何らかの「報酬
ニュースを見ていると、犯罪者の動機が没個性的なことに気付かされる。「遊ぶ金ほしさに」「むしゃくしゃして」「痴情のもつれが原因で」お決まりのキーワードだ。けれど私たちの心はそんなに単純ではない。実際には犯罪者一人ひとりに、個別の背景があるはずだ。心の闇と一口に言っても、そこには人それぞれの色がある。 しかし警察はヒマではない。個々の事件ごとに犯罪者の動機を詳述したりしない。自分たちに理解可能で、検察や弁護士、マスコミが語りやすい言葉へと落とし込んでいく。たとえばあなたが、先週のキャンプに持って行ったナイフを、うっかりカバンから出し忘れていたとする。銃刀法違反だ。警察の定型句で言い換えれば、これはナイフを「隠し持っていた」ことになる。 人は誰でも、遊ぶ金が欲しいときはある。むしゃくしゃすることだってある。痴情がもつれてどうしようもなくなる経験も珍しくない。そういう気持ちがあっても私たちは犯罪に
タイトルにはスタバと書いたのだが別にスタバである必然性はなく、実はタリーズでもエクセルシオールでも何でもいい。ただ、少し一般化して喫茶店と書くと、それこそ兜町にあるようなトラディショナルなやつが大量に含まれる気がするし、カフェと書くとハウスミュージックがかかるなかでホットワインを飲むみたいな変なお洒落スポットが混入してくる気がしてイマイチしっくり来なかったので、いっそのこと固有名詞にした。そういうわけで以降もスタバとは書くが、要するにカウンターのような所で商品を注文して、受け取った商品は自分で席まで運んで飲食するスタイルの店全般を指す概念として利用するので、そのつもりで適当に読んでいただきたい。 2種類の客 スタバには、2種類の客がいる。注文を済ませてから席に着く客と、注文する前に席を取る客だ。 私の知るほとんどのスタバは、入るとまず注文カウンターがあって、座席があるのはその奥であったり別
あれから10年、そしてこれからの10年 - 正義と微笑 十年以上前から、私は「自己侮蔑や劣等感の強い人が自分を好きになるための方法」を探し続けてきた。 しかしこの問題を学びはじめて気付いたのは、思春期にかかる“はしか”程度の軽い事例もあれば、パーソナリティ障害や発達障害といったハンディを背景に抱えた難しい事例もあり、深刻度のまちまちな人がいる、ということだった。 自分自身のことを嫌っている人のなかには、十年単位で自己嫌悪を抱いている人もいる――三十代を迎えても・良い職業に就いても・伴侶や家庭を持っても、自分のことが好きになれないまま人生を歩んでいく人が、世の中には案外たくさんいるようだった。“自分が好きになるためのライフハック”的な気休め書籍が流通しているのも、それだけ、自己嫌悪や劣等コンプレックスの類が変化しにくいのだろう。 では「自分のことが嫌い」という心境を、「自分のことが満更でもな
ヒトは「頭の使い方」を覚えると賢くなる生き物だ。 かけ算九九しかり、元素記号の語呂合わせしかり、丸暗記してしまうことで思考をスピードアップできる。理系大学生のサイフは平均的に文系大学生のサイフよりも軽い。なぜなら彼らは数字に強く、「おつりのコインを最小にする計算方法」を身につけているからだ。それに加えて実験とレポートに追われてバイトができないという涙ぐましい事情がある。 私は学生時代に、ちょっとだけ英語ディベートをやっていた。その時に先輩に教えてもらった「ニュースの読み方」が今でも役に立っている。ニュースを読むにはトレーニングが必要で、読み慣れないうちは、「なにが問題なのか分からない」のが最大の問題となる。逆に「読み方のテンプレート」を覚えてしまえば、そのニュースの論点を即座に見抜けるようになる。かしこい人はこうやってニュースを読むのか! と当時は感心した。 今回のエントリーでは、その一部
梓川十三 @juzo213 今の時期、出来る限り新しいラノベに触れて市場の知識と世界観を広げたいところであるが、このところ新しいラノベ買うたびにがっかりするのでちょっと心折れてる。 梓川十三 @juzo213 昔は良かったとか言う作家は生き残れない気がするので頑張りたいところだけど、自分の作りたくないものを作る努力をすることに絶望感を覚えないでもない。結局の所、なんで創作するのって根本的な問題に落ち込むわけで。
はじめに これからの正義 セカイから私まで 全体最適が実現された世界 全体最適を超越する少年 全体最適を体現する少女 再び、これからの正義 注記 ■はじめに マイケル・サンデル。1953年、ミネソタ州ミネアポリス生まれ。1980年、ハーヴァード大学行政学部教授就任。2010年5月に早川書房から翻訳刊行された『これからの「正義」の話をしよう』[*1]は半年足らずで五十万部を突破し[*2]、講義風景を収録したNHK教育テレビの番組「ハーバード白熱教室」が話題となった。 河野裕。1984年、徳島県生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒。2009年6月に角川スニーカー文庫から長編小説『サクラダリセット CAT, GHOST and REVOLUTION SUNDAY』でデビュー[*3]。2010年9月に〈サクラダリセット〉シリーズ第三長編の刊行とあわせてコミック化決定が発表され、それを宣伝する書店POPに
なんか、海燕さん(id:kaien)にこんな紹介記事を書いてもらい、 恐縮の極みな一方で、アクセスおいしいです状態のレスター伯です。 参考:『最先端がここにある! ブログ「レスター伯の躁鬱」がマジ斬新な件。』―Something Orange 「ブロガーズ・ブロガー」って称号はすげーホメ言葉だなあと思いつつ、 でも、逆にいえば玄人好み状態だよなあと思ったりw まあ、基本的には海燕さんが書いてあることは 「その通りです」 と全力で同意するわけですが、 一応自分でも補足しておこうかなと思い、 とうわけであえて、『レスター伯の躁鬱』を自分で勧めて見ようかなと思います。 1.ニュースは読みやすさ(客観性)と目の付けどころ(主観性)が命 うちのブログで一番安定してアクセスが稼げるのはニュース系の記事です。 いわゆる一番自分を殺した記事で、代表的な記事でいえばこのあたり。 ・iPadでJコミ版『ラブひ
積ん読の記事に出てきた「達人プログラマー―システム開発の職人から名匠への道」の109ページに次の言葉が書いてありました。 あなたは完璧なソフトウェアを作ることができない この言葉は文章を書く場合についても言えるんじゃないかと思いました。 「あなたは完璧な文章を書くことができない」 完璧な文章なんてそうそう作れるものじゃありません。多少不完全でも自分の書きたい記事をどんどん投稿すればいいんです。 もちろん、自分が書いた文章の穴を他人に見つけられ非難されるのを不安に思うかもしれません。そんなときは「自分が作ってしまった文章中のバグを見つけてくれたんだ」と考えてみましょう。何の報酬もないのにわざわざ自分の文章の欠点を教えてくれるんですから、実はとても優しい人なのかもしれません。
要約というか言いたいこと 調べてみると、ニコ動のコメントは10代によるものがほとんどだった(特に中学生)。 コメントの空気は彼ら小中学生が作っているんじゃないのか。 価値観がかなり違うんなら分けた方がいいんでないか。 最近のニコ動コメントと空気 最近ニコ動のコメントを見ていて、なんとなくコメントがつまんないなあと思う。 喧嘩のコメントは論外だけど、普通のコメントでも 「うーん・・・そこでウける?」 「この曲そんなにいいかなあ・・・」 みたいに、「みんな」との感覚のズレが昔に比べると目立つようになってきたように思う。 どうやら自分はニコ動内での標準的な価値観のラインから逸脱してしまったのか。 だとしたら、その「標準的な価値観」とは誰がどのように作りだすのか? 実際そこにいる人と表面上そこにいる人の違い 普通に考えると、その「標準的な価値観」は、その場にいる人間の平均的なものになるはず。 10
最近、精神科の外来でも「『twitter』で炎上したのをきっかけに…」なんて話を若い患者さんから聞くようになった。それだけ、コミュニケーションに占めるネットの割合が大きくなってきたのだろう。 ところで、『twitter』を見ていると、ものすごく威勢のいい事を書いている人が珍しくない。ちょっと大げさ・攻撃的な語調・ドヤ顔・朝も昼も深夜も連続投稿……なんて人が、そこここに存在している。そんな彼らの「僕らの正しいツイートで社会を変えていきましょう!」的な書き込みをプリントアウトして精神科医に見せたりしたら、びっくりされてしまうんじゃないだろうか。 とりわけ、近年の精神科界隈では「双極スペクトラム障害」という疾患概念がトピックスになっていて、精神科医は“躁っぽい症候”に神経をとがらせている。「双極スペクトラム障害」とは、大雑把に言うと、「躁っぽさが混じっている精神疾患」みたいなものだ。この新しい疾
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2、3週間前に海燕(id:kaien)さんのチャットで話してたこと=感想と批評とレビューの違いについて。 これらの違いをわざわざ言う意味って、それぞれが「目的が違う」から。では何が違うのか。 感想 :読書の体験を書く = 表現 批評 :作品を明らかにする = 説明 レビュー:作品を紹介する = 販促 実際に書いていく上で重なる領域があるので、分かちがたいものでもあるが、どこを書いているかは明確にした方がよい。書き上げたものの視点が散漫になり、人それぞれの読み方を限りなく許すことになるからだ。それをネット上でやると、とても無意味な議論が発生する可能性を生むからだ。 また、それぞれにおいて、必要とされるものが違ってくるというのもある。 感想では感性と表現力が必要とされる。感想という名前の作品を生み出す作業に他ならないからだ。一人称の小説を書くという作業に近しい。この点を踏まえると、他
最近になって,お客様とソーシャルグラフについて会話する機会が増えてきた。 ひとつはFacebookのオープングラフ発表の影響,また国内で見るとmixiの新プラットフォームや,ヤフー!モバゲーへの関心からだろう。またソーシャルゲームなどソーシャルグラフが不可欠な市場が将来急成長するとの予測も後押ししているようだ。 そもそもこの「ソーシャルグラフ」とは,技術者であるBrad Fitzpatrick氏(現Google在籍)が2007年に発表したコンセプト(英語による元情報,日本語翻訳資料)で,一言で言うと「人間関係図」のことだ。 例えば,このような「ノード(ヒト)」と「エッジ(関係)」であらわされる人間関係をさしている。 そして現実の「ソーシャルグラフ」は,家族や友人などの「信頼関係」と,サークルやコミュニティで広がる「同好関係」から成り立っていることが多い。また別の見方をすると,「リアルな人間
ソースは http://www.excite.co.jp/News/bit/E1319439863217.htmlhttp://www.excite.co.jp/News/bit/E1319439863217.html?_p=2 行楽シーズンで、遠足も増える頃。 ところで、遠足といえば「おやつ」。 一般的には「おやつ」といえば、「300円以内」のきまりや、 「バナナはおやつに入りますか」の質問(ギャグ?)が、昔は定番だった。 ちなみに、子どもの頃、自分の学校では遠足はおやつ全面禁止だっただけに、 「バナナが入るか」という定番ギャグを聞くたび「遠足におやつ持ってくの?」と 不思議に思ったこともある。 そのため、修学旅行などの宿泊行事の際に初めておやつが許可され、 「上限金額」が言い渡されたときには、かっぱえびせんやカールなどの袋物でなるべく嵩を増やし、 リュックをパンパンにするのが喜びだった
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