表現することの敷居はどんどん低くなっている。 2000年代、ブロードバンド化によって大量の情報が個人で送れるようになり、またその手段も形式化、簡素化され、表現することとそれを大多数の人のもとに届けることは、もはやなんら難しいことではなくなってきている。梅田望夫がその著書で述べた「総表現社会」というのは、ほぼ実現したといっていい。かつて、マスメディアに「独占」されていた表現は解放され、もはや「だれでも表現ができる」という社会が到来したのだ。 にもかかわらず、この状態は同時に一種の「痛々しさ」のようなものを我々が抱いているとしたら、それはなぜだろう。 ◆ それは、「表現を受容する人」より「表現する人」の方が、実は総量を上回っていた、という事実からくる感覚ではないかと、最近思う。 そのことは文芸誌にまつわるあるジョークに象徴されている。出版不況のなか、苦境に立つある老舗の文芸誌の主催する有名な文