タグ

容姿とあとで読むに関するpita-goraのブックマーク (2)

  • 「美人○○」に潜在する女性恐怖 - ohnosakiko’s blog

    昨日の記事「美人○○」と「女性○○」について、はてなブックマーク(とそのブックマークとそのまたブックマーク)でid:Midasさんとやりとりをさせて頂きましたので、抜き出しておきます(日付はすべて日、id:の部分は省略)。 Midas  「美醜」ではなく労働と性別の問題ではないか。例えば我々は兵士が女性であることを恐れる。そこで「美人自衛官」とあえて呼び、能力を格下げするのだ。実際は兵士であることが男性的特質を証明したりはしないのだが ohnosakiko Midasさん、重要だと思いますが雨宮さんの記事に既にあるので別の観点から書きました。 はてなブックマーク -「美人○○」と「女性○○」 - Ohnoblog2 ↓ Midas ohnosakiko さん。私が申し上げてるのは逆で「実力(決して成功ではなく)を認め」てるからこそ美人と書く。ということです。所謂美女には世間は甘く、天才す

    「美人○○」に潜在する女性恐怖 - ohnosakiko’s blog
  • 「美人○○」と「女性○○」 - ohnosakiko’s blog

    前日の記事の続きです。 「美大講師」を「美人講師」と一瞬見間違って恥ずかしくなった理由は、今思うと二つある。 一つは、「おまいさん、いい歳こいてどんだけナルシシズムに汚染されとんだ」。これについてはそう説明はいらない(というか恥ずかしいのであまり詳しく説明したくない)。 もう一つは、それが芸能週刊誌であっても、「美人○○」などという言い方に疑問を感じないような心性が、自分の中にあったのか‥‥という恥の感覚である。 たとえば最近話題になった美人という職業 - 雨宮まみの「弟よ!」のこの下り。 「美人○○」って、ホメ言葉のように見えるけど、雑誌の記事などでそう書かれている場合、かなりの確率で蔑称として使われていることが多いように思います。実力を認めている場合は、たとえ美人であってもいちいち「美人」とは書かないでしょう。美人○○、なんて、一見ホメてはいても軽く見ている場合がほとんどだって、わかる

    「美人○○」と「女性○○」 - ohnosakiko’s blog
  • 1