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twitterと考察に関するpita-goraのブックマーク (3)

  • Twitter的サービスは人類を二極化させる(かも)

    先日、ある講演会で、作家の渡辺浩弐さんが「人類は今後、積極的に外に出かけて行ってそれをネット上で発信しまくる『リア充』(リアルな生活が充実している人)と、ネットを通じてそれを追体験する『引きこもり』に、二極化していく。Twitterはその初期形態だ」という主旨の発言をされていた。そして、「1万人に1人のリア充がいればいい」とも語っていた。 確かに、Twitterで情報発信している著名人と、そのコメントをフォローしながら経験を共有している人達の関係を見ていると、そのような社会もあり得る気がする。 しかしこの「二極化」は、「すべての人がネットと密接に関わり合う」という前提で語られている。いずれはそうなるのかもしれないが、より短期的には、別の二極化が顕在化する可能性の方が高いであろう。 それはTwitterなどのサービスを通じて、「常にネットと接続している人達」と「そうではない人達」という二極化

  • Twitterとはなんだったのか——「コンテンツ」としての日本Twitterユーザー(後編) - コンテンツ編 - マぜンタとシアん

    Twitterは「残念」だったのか?はてな村は、なぜそう呼ばれるのか前半では、Twitterの「アーキテクチャ」を分析し、その上で日TwitterユーザーはどのようにTwitterを利用し、どのような活動を行ってきたのか、ということに焦点を当ててみました。さて、前半冒頭の問題意識に戻ってみましょう。この記事は「日Twitterは残念だったのか?」という問いから始まりました。この「残念」という言い回しは、梅田望夫さんの岡田有花記者によるインタビュー記事のタイトル、「日のwebは残念」から取ったものです。そこで、まず、「なぜこの記事で、日のwebは『残念』と呼ばれているのか」について確認しておきましょう。かつてweblogの発明を「一億総表現社会の到来」と言祝ぎ、進化していくウェブの姿を機敏に捉えた梅田さんはなぜ今になって「日のweb」を見切らざるを得なかったのでしょうか。それは

  • Twitterとはなんだったのか――「コンテンツ」としての日本Twitterユーザー(前編) - アーキテクチャ編 - マぜンタとシアん

    @kohmiの登場とついコン騒動いままでTwitterに使い慣れてきたユーザーにとって、@kohmiこと広瀬香美さんの登場はかなり大きな衝撃だったのではないでしょうか。もちろん、有名な小説家やミュージシャンなどの「有名人」のTwitterへの参入は、それまでもよく見られたことでした。しかし、それでもkohmiさんのようにある一時期に、あれほど多数のユーザーの注目を集めるような「有名人」がTwitterに現れることはなかったのではないでしょうか。今は少し鎮静化して穏やかになったものの、彼女発言や「ヒウィッヒヒー」話などは、一時は新聞等の外部メディアまでに取り上げられるほどまでの過剰なの盛り上がりを見せていました。では、あの異様な盛り上がりは、いったいなにによって引き起こされたものだったのでしょうか?いったい彼女のどのようなところが、Twitterユーザーをあそこまで惹きつけたのでしょう?この

    pita-gora
    pita-gora 2009/11/30
    長い。hazuma 真に衝撃的なのはこれを書いているのが受験を控えた高3だということだ。
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