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哲学と人生に関するpj1200100のブックマーク (2)

  • 介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由

    昨日、今日と大学は事務休止でお休み。 昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。 ご人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す。 それでもなかなか日がとれないからと、でかける。 親戚に寄って、77歳のおばさんも誘う。 店に着くと、親切そうな店員さんから介護保険を申請していると安くなる、場合によっては1割の値段になると告げられる。 が、なんだかその言葉にカチンと来るところがあったらしく、申請のことはあまり聞きたがらない。 歩行器が目当てで合ったはずだが、横目でチラッと見るだけであまり関心を示さない。 結局、シャワー用の椅子を買う。 が、家に帰ると「まだ使う必要はないから、片付けておいて」と言う。 鷲田先生の『「ぐずぐず」の理由』の一節を思い出す。 「人間の、人間としての基礎にかかわることがらは、すぐには答えの出

    介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由
    pj1200100
    pj1200100 2011/09/14
    "昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。ご本人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す"
  • きんとんと田作りのすすめ(『同朋』1993年1月号)

    スキーや旅行にいくでもなし、初詣でをするわけでもなし、暮から正月にかけていつもと同じような生活が続いている。子供たちはお年玉がもらえるというので浮き浮きしているが、出す方の身にとってはそう嬉しいものでもない。門松も竹も飾らなければ、国旗も出さない。せいぜい玄関に注連飾りをし、床の間に鏡を供えるぐらいである。明らかに正月というもののもつ意味が昔とは変わってしまった。 新しい年の始まりとしての正月、そこには大事ななにかがあるはずなのに、われわれは正月を休みとしてしか意識していない。働かなくてよい日、遊ぶことのできる日として。毎日の仕事がきつければきついほど、そうなるのもまたやむをえないかもしれない。しかし、正月休みは休みであるとともに、来るべき始まりへの準備期間であることも忘れてはならないのではないか。 元旦には身も心もさっぱりしていたいという客で、大晦日の夜遅くまで床屋は忙しかった。家庭で

    きんとんと田作りのすすめ(『同朋』1993年1月号)
    pj1200100
    pj1200100 2007/09/02
    "時間が始まってからではなくて、まさにこれから始まろうとするときに備えるという、時間に対する敬虔さがなくてはならない"
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