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老いに関するpj1200100のブックマーク (3)

  • 『アメリカ文学における「老い」の政治学』金澤 哲 編著(松籟社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「老いを受け止める」 長い学生時代を経て、わたしが就職をしたのは29才の時だったが、そのとき真っ先に思ったのは、「あと36年しか働けない! はやく家かマンション買って住宅ローン組まなきゃ!」ということだった。実際に住宅ローンを抱えるようになるのはそれから数年後のことだが、なぜわたしが「持ち家」にこだわったかというと、その昔、確かまだわたしが二十代の始め頃、あるドキュメンタリー番組をたまたま見たのがきっかけだった。 それは、老人の住宅確保に関する問題を扱った番組で、年老いた一人暮らしの女性が何軒もの不動産屋に賃貸契約を断わられている様子が画面に映し出されていた。孤独死や家賃滞納を懸念する不動産屋の対応と説明されていたと記憶しているが、わたしが感じたのは理不尽な対応をする不動産屋に対する怒りというよりも、こうした寄る辺ない人間に対して社会が見せる容赦無き態度への恐怖だった

    『アメリカ文学における「老い」の政治学』金澤 哲 編著(松籟社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • ポスト工業化時代は江戸時代? : 池田信夫 blog

    2012年02月28日21:21 カテゴリ科学/文化 ポスト工業化時代は江戸時代? 先週「アゴラ」で『暇と退屈の倫理学』を取り上げたところ、意外に多くのアクセスがあり、このもアマゾンで109位まで上がった。これと昨日のエルピーダの事件は、無関係なようでつながっている。北尾吉孝氏も指摘するように今回のように所謂「ポスト・インダストリアル・ソサエティ(脱工業化社会)」に相応しくない産業に血税を大量に費やして行くというのは全く持ってナンセンスです。[・・・]例えばエルピーダに投下された上記公的資金がiPS細胞(新型万能細胞)の分野に流れていたならば、どのような成果がそこに現れてくるのかといった楽しみを常に持つことが出来ていたことでしょう。もう日が「ものづくり」で輝く日は二度と来ない。主要な市場が国内にないのだから、国内でつくる必然性がない。ASCII.jpの連載の最終回でも書いたように、日

    ポスト工業化時代は江戸時代? : 池田信夫 blog
  • 介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由

    昨日、今日と大学は事務休止でお休み。 昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。 ご人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す。 それでもなかなか日がとれないからと、でかける。 親戚に寄って、77歳のおばさんも誘う。 店に着くと、親切そうな店員さんから介護保険を申請していると安くなる、場合によっては1割の値段になると告げられる。 が、なんだかその言葉にカチンと来るところがあったらしく、申請のことはあまり聞きたがらない。 歩行器が目当てで合ったはずだが、横目でチラッと見るだけであまり関心を示さない。 結局、シャワー用の椅子を買う。 が、家に帰ると「まだ使う必要はないから、片付けておいて」と言う。 鷲田先生の『「ぐずぐず」の理由』の一節を思い出す。 「人間の、人間としての基礎にかかわることがらは、すぐには答えの出

    介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由
    pj1200100
    pj1200100 2011/09/14
    "昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。ご本人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す"
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