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ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (3)

  • ニンゲンは賭けをする。そのとき科学は宗教になる。(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    とりあえずは荒っぽくメモがわり。 知と信 目の前にコップがひとつあるとしますにゃ。ここで、僕たちは目の前にコップがあることを【知って】いるわけですにゃ。このとき、目の前にコップがあることを【信じて】いるとは言いませんよにゃ。 つまり 知っていることを信じることはできない 信仰というものは、知ることの不可能な対象を信じることだと考えますにゃ。 一方、科学による知の対象というのは、知ることができるものに限られるわけですよにゃー。 というわけで、この基準を持ち出すと、宗教と科学はきれいにわかれてしまうことになりますにゃ。 もちろん、話はそんなに単純ではにゃー。 では 目の前にある部屋に、致死性の病気をもたらす病原菌がうじゃうじゃいる という命題を考えてみますにゃ。 これは基的には自然科学の命題、すなわち【知る】ことのできる対象ですにゃ。 しかし、病原菌を直接的に知覚することはできにゃーので、生

    ニンゲンは賭けをする。そのとき科学は宗教になる。(追記アリ - 地下生活者の手遊び
  • 意志に自由があるという信仰 - 地下生活者の手遊び

    みたび自由についてなる再反論をいただきましたにゃ。しかし、反論の呈をなしてにゃーのだが。 まず「意思*1の自由」についてにゃんが、脳内でどう考えようがそりゃ確かに自由ですね、という論点については前エントリ追記ですでに触れているんだけどにゃ。 脳内お花畑の自由はあるよにゃ。想像の中でなら快楽殺人も民族浄化もやり放題。 公務の執行を妨害する自由を語っていたエントリにつっこまれて、脳内お花畑の自由にまで後退せざるをえなかったのに、まだ誤読とかレイヤーが違うとか言えてしまう面の皮の厚さにまず乾杯。 さらに、脳内お花畑の自由をして、根源的な自由などという庇い方がなされる強靭な心臓にさらに乾杯。 他者の根源性 僕は最初からlever_buildingのいう自由には他者が不在であるといってきましたにゃ。強者の論理であるともいってきましたにゃ。何度でも確認する必要があるのだけれど、lever_buildi

    意志に自由があるという信仰 - 地下生活者の手遊び
  • 「戦後日本の殺人の動向」サマリー - 地下生活者の手遊び

    岩波書店の雑誌「科学」2000年7月号に、長谷川寿一・長谷川眞理子*1の「戦後日の殺人の動向」という論文が掲載されていますにゃ。wikipedia:進化心理学の立場から、殺人という犯罪を論じているものにゃんね。 なかなか手に入りにくくもなっているので、この論文を簡単にご紹介。以下に「適応」という言葉がでてきたら、それは進化生物学的な意味であることをご留意くださいにゃ。また、論文のサマリーなのでかぶり文体は封印*2。 まず、殺人それ自体は適応的な行動ではないという立場がとられている。しかし、殺人をひきおこす対立感情や攻撃性は、自己主張や固執という適応的な行動から生ずるものであるとしている。 また、分析のもととなる資料は、警察の犯罪統計に加えて、殺人事件の判決文をランダムに参照して1件1件の判決ごとにデータベースを作成したものを用いている。 図1 日の殺人率の時代変化 グラフは刑事犯罪と

    「戦後日本の殺人の動向」サマリー - 地下生活者の手遊び
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