1988年1月28日、黒澤プロダクションのS氏から電話があり、黒澤作品の海外ビデオ配給の件などについて東宝と話しあっているが埒があかないので相談したいとのことであった。私は2月1日午後2時、事務所でS氏と会い話を聞いた。もちろんこのとき私は、これが4年後に起こる日本およびアメリカでの訴訟合戦の発端であるとは知る由もなかった。 S氏の話によれば、黒澤プロダクションと東宝との間には『七人の侍』が製作された昭和30年代にさかのぼるさまざまな紛争があり、その解決の糸口がつかめないでいるとのことであった。私が相談を受けたときまでに、すでに黒澤プロダクションと東宝との間では何通かの書面のやり取りがあり、1987年10月12日には東宝の役員と黒澤プロダクションのI・S両氏との会議も持たれていた。これらの話し合いはまったくの平行線で、なんら歩み寄りはみられていなかった。黒澤プロダクションとしては東宝と直に