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スマナサーラに関するpolynityのブックマーク (6)

  • さとりの条件 - ひじる日々

    2010年03月13日(土) 14:00より行われた、ゴータミー精舎でのスマナサーラ長老の法話と冥想の会。質疑応答の模様などtwitterメモをもとに再現しました。 Q)コンダンニャさん釈尊のはなし聴いただけでさとった。さとるのって、そんなに簡単なのか? A)さとりは一部の人にのみ恵まれたものではない。論理的に人間なら覚りに達することできるはず。条件:物事を理解できるのか?ということ。釈尊の時代覚らなかったケースは殆どなかった。出家も在家も男も女も。当たり前のように真理に達する。覚りは稀なことである、なら仏教でなくなる。 誰もが幸福になれる道でなければ語る意味がない。稀な人しか到達できないことを喋っても意味ない。 現代人には、そんな簡単に?という疑問は出てきますが。なぜ仏教の世界で人がさとれなくなったか。歴史的に研究しないと。人間が堕落したというのはちょっと成り立たない。 末法思想は作り話

    さとりの条件 - ひじる日々
  • 僕の嫌いな音楽評論家・仏教者: padma-blog

    音楽と仏教の両方を愛好する僕が以前から感じていることを正直に述べる。 僕の嫌いな音楽評論家は宇野功芳である。 僕の嫌いな仏教者はA・スマナサーラである。 2人の間には共通点があるように思えてならない。 その独善性と排他性である。 僕は、宇野功芳に騙されたことを心から悔やんでいる。 A・スマナサーラには洗脳される前に縁を切った。 音楽評論家として必要な品性というものがある。 仏教者として必要な品性というものがある。 彼らには、それが欠けている。 彼らは正統性を標榜しているが、その実、自らを権威付けるために、ブッダやモーツァルトを利用しているにすぎない。モーツァルトは確かに偉大な音楽家だ、しかし、宇野は駄目な音楽評論家の見だ。上座部仏教は確かに偉大な仏教だ、しかし、スマナサーラは駄目な仏教者の見だ。 彼らの言説が人気を呼ぶのは、その断言口調が分かりやすいためであろうが、愚かな大衆と

  • 『怒らないこと』A・スマナサーラ - あれこれ随想記 

    A・スマナサーラ著『怒らないこと』サンガ新書、を読みました。 怒らないこと、大切なことです。 仏教の基的な三つの煩悩、三毒煩悩の中の一つに「瞋恚」というものがあります。 しかし、凡夫には、頭で分かっていても、なかなか感情は抑えられないところがあります。 そうは言いながらも、まず頭で分かることから始めるのも大切なことです。 書では、なぜ怒るのが悪いのか、はっきり過ぎるほど説いてあります。 >「悪に向かって闘おう」「正義の味方になろう」というのは仏教の考え方ではありません。「正しい怒り」など仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。 「正しい怒り」はないということは、心に留めておいた方が良さそうです。 怒ったときには、必ずといっていいほど、自分を正当化しようとします。

    polynity
    polynity 2009/03/12
    罰を意識していれば、無視もまた報復になってしまうのではないか。むしろ、「心を高い位置に置け」という河野さんの言葉のほうが納得できる。http://sonzai.org/2008/05/revenge.htm
  • 伊勢神宮参拝記(「瑞垣」221),竹村健一対談(月刊「世相」342) - ヴィパッサナー通信 Vipassana news (blog版)

    polynity
    polynity 2009/02/07
    スマナサーラ長老曰く、「「排他」という概念は神道にはありません。個人的にどんな信仰をもっている人であれ、我が家に入るような気持ちで神宮の鳥居をくぐることができるのです」と。
  • ひじる日々

    版元のサンガ倒産で電書版を読めなくなったので、細かい加筆修正を施しつつ note に掲載していきたいと思います。よろしければお読みになってみて下さい。 note.com Sallekha suttaṃ サッレーカ スッタン 「戒め」経 1.Idha kho pana vo Cunda sallekho karaṇīyo: イダ コー パナ ヴォー チュンダ サッレーコー カラニーヨー さすればチュンダよ、かくのごとく戒むるべし。 pare vihiṃsakā bhavissanti, mayamettha avihiṃsakā パレー ヴィヒンサカー バヴィッサンティ マヤメッタ アヴィヒンサカー bhavissāmāti sallekho karaṇīyo. バヴィッサーマーティ サッレーコー カラニーヨー よそびとは他に害を与うるものなれど、われらは他を害さぬよう戒むるべし。 2.Pa

    ひじる日々
  • スマナサーラ原始仏教法話2

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