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大友良英と教育に関するpolynityのブックマーク (2)

  • 音楽教育理数系編入論【後篇】

    現在もそう教えているなら、とんでもない話だが、僕が小中学校に通っていた頃には、J.S.バッハのことを「音楽の父」なんて教わっていた。 これは端的にいって嘘である。「音楽の父」とはつまり「西洋音楽の創始者」の謂いだろうが、バッハがそんな存在のわけがないことは、僕のようなアマチュア音楽愛好家でも知っているし、バッハ自身も知っている。 「西洋音楽の父」はピタゴラスである では当の「西洋音楽の父」は誰か。パレストリーナでもなければブクステフーデでもない。それはピタゴラスである。 ピタゴラスは一の紐を張って、びよーんと鳴らした(この伝説には、水を張った甕を叩いた、というヴァリアントもある)。ついでその紐を半分にして鳴らした。するとそれは最初の長さで鳴らしたときより、1オクターブ高かった。すなわち周波数比が2対1だったのである。いやむしろ「周波数比2対1の音程差を1オクターブとした」というべきだろ

  • 音楽教育理数系編入論【前篇】

    『学校で教えてくれない音楽』(大友良英著・岩波新書)という書名はトリッキーである。著者が意図したわけではないだろうが、言葉の(日語とは限らない)曖昧さが潜んでいるのである。 おそらく著者は、これを「学校で教えてくれない(種類の)音楽」という意味でつけたのだろう。しかし僕はこのタイトルを、半ば意識的に誤解して読み始めたのだった。つまりこれは、「学校で教えてくれない音楽(というもの)」についてのなのではないかと。 音楽学校を除いて、日のいわゆる「普通の」学校、小中高等学校で、音楽を教えないことは、誰もがうすうす気がついていると思う。 確かに、僕が公立の小中学校に通っていた時にも、「音楽」と称する授業はあった。「音楽室」と称する部屋さえあった。そのへやには音楽に使うもの――ピアノとか、ほかの楽器とか、楽譜立てとか――があって、黒板には五線が引いてあり、壁には作曲家の肖像画が飾られていた。さ

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