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宗教と法華経に関するpolynityのブックマーク (2)

  • 第6講:語られ得ぬ法華経の来歴

    「法華経」は,だれによって,なぜ,どのようにして書かれたのか。「諜報謀略論」の視点からこの問いに答える試みは邦初と思う。諜報謀略論は新たな発見や異質な発想をもたらし,奇想天外,意外なことがらを浮き彫りにする。そこから,人の心を揺さぶるインテリジェンスの粋を感じていただきたい。 分裂したグループが法華経を創作した そもそも啓示宗教であるユダヤ・キリスト教では,経典テキストを確定するために並々ならぬ努力がなされてきた。そして確定された経典テキストに対する解釈の違いが公会議で議論され,正統・異端を生んできた。 だが仏教では,仏陀入滅後,経典テキストを確定するために「結集」(数百人の僧が集まって経典の内容を議論する会議)が数回開かれたが,その後はかなり自由に経典テキストが創作された。経典テキストの創作が自由ならば解釈も自由。だから,ユダヤ・キリスト教の言説に起こったような正統・異端の議論をそのま

    第6講:語られ得ぬ法華経の来歴
  • 宗教の無力 - 石原慎太郎エッセイ『日本よ』

    以前イギリスの作家ラシュディの『悪魔の詩』なる作品がイスラム教への冒涜(ぼうとく)だとされイランの指導者ホメイニ師が彼の抹殺を命じ、作家は長らくその身を隠さざるを得なかった。そのとばっちりで、彼の作品を邦訳した日人の大学助教授までが大学構内で殺されるという事件もあった。あの時私が感じたなんともいえぬ違和感を最近になって改めて思い出す。それは出来事への批判とか反発ではなしに、信仰者の信仰者故の尊大さの質的な誤謬(ごびゅう)についてである。 ラシュディが冒涜したとされたのはイスラム教の預言者であるマホメッドをだということだろうが、もしラシュディなる作家が面と向かってマホメッドに同じことをいったとしても、マホメッドはその信徒に彼を殺せとは決していわなかったに違いない。 私自身は仏教に発した私なりの信仰を持っているが、ユダヤ教にせよそこから発したイスラム教、キリスト教にせよ、いわゆる一神教の唱

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