- 論点 [国のために死ぬこと] 靖国神社は昨日から秋の例大祭。安倍晋三首相は言う。 「国のために戦って命を落とした人たちに尊崇の念を表すのは当然。欧米各国でも行われている自然な国家儀礼で、非難されるいわれはない」 耳になじんだこの説明を、歴史とこころの基点から、問い直してみる。【構成・伊藤智永】 黙する死者と向き合う 若松英輔 批評家 「三田文学」編集長 戦争で亡くなるのは、戦場に赴いた人ばかりではない。先の大戦下の日本でも、空襲や原爆、あるいは侵略によって多くの非戦闘員が死なねばならなかった。ドイツのユダヤ人のように自国によって命を奪われる他民族もいた。今、内戦下のシリアでは、国家が特定の地域に暮らす人々を無差別的に殺している。 どんな死を迎えたとしても、死は、常に個の出来事である。紛争は国家が行うが、死ぬのはいつも個である。死は何者によっても代替され得ない。どんな状況下であったとして