by Gerhard Richter 一 「アウグスティヌスの矢」 キリスト教神学では輪廻転生を異端として排斥する、ということに対して僕は疑問を抱く。本当にキリスト教は輪廻をその教義に持っていないのだろうか。 これから僕は、ローマ・カトリック教が、何故「輪廻転生」と相容れないのかということを考察し、なおかつ「輪廻」の持つキリスト教的な意味を探る。 まず、時間論のモデルを考えよう。キリスト教的な時間論とは、一言でいえば矢である。これはアウグスティヌスが『告白』の名高い11巻で語った基本的なことだが、時間は絶対的に過去へ遡行しない。必ず矢のように現在が現在を絶え間なく更新し続ける。メルロ=ポンティが『知覚の現象学』の時間論で、「時間には、過去も未来もなく、あるのは現在のみである」という類のことを記していたが、これは過去が現在の想起であり、未来が現在の予持としてしか知覚し得ないということに他なら