落合仁司による無限集合論の「パラミズム」、すなわち神の本質と活動の差異への適用は、さらにめちゃくちゃだ。 「神の活動を無限集合とおいてみよう。(・・・) この神の自己の多様な部分、神の活動の多様な部分を、神の活動という無限集合の部分集合と考えることが出来る。(・・・)このとき神の本質を、神の活動の多様な部分の総和、神の自己の多様な部分の総和と考えることは出来ないか。すなわち神の本質を、神の活動という無限集合の全ての部分集合の集合、ベキ集合と考えるのである。 こう考えることによって神の本質と活動の関係に対して、集合論の定理2「無限においては、部分の総和が全体を超える。」あるいは「無限集合は、自らのベキ集合に自らを超えられる。」が適用できる。すなわち神の活動が無限集合であり、神の本質がそのベキ集合であるとするならば、定理2により、「神の本質は、自己の活動(自己自身)をも超越する。」という命題が