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綱島郁子に関するpolynityのブックマーク (13)

  • 三笠宮殿下のみ教え - ブログ版『ユーリの部屋』

    三笠宮崇仁親王殿下のご薨去の報に接したのは、昨日の午前10時半前のことだった。 すぐに、1985年にNIRAの奨学金で身重の奥様と一緒に日で3ヶ月、調査留学されていたダニエル・パイプス先生に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)メールでご連絡を。滞日中、たくさん会った日人の中で、ほぼ唯一の「親イスラエルの日人」として最も印象が強かったと、2012年1月のメル友開始直後に教えてくださったからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140319)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151203)。 何と、その14

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  • 気を遣ってもらうムスリム - ブログ版『ユーリの部屋』

    「いいなぁ、ムスリムは。みんなに気を遣ってもらって...」と私が言うと、主人が即座に言い返した。 「何もいいことないよ。人に気を遣ってもらうってことは、それだけ半人前扱いされているということで、まともだと見なされていないってことでしょう?普通は、誰でも自分のことは自分でするのが前提。できないと見なされているから、気を遣われているんだ。どうして、そんな変な考え方の人をうらやましがるかなぁ?」 でも、過去の私の周囲では、特に大学では、ムスリムに気を遣うのが当然の礼節であるかのような雰囲気だった。非ムスリム側が配慮して祈祷場所を作ったり、祈祷用の足洗い場までできた大学もある。また、被害に遭っている非ムスリムを黙らせた上で、「ムスリム批判をしてはいけない」などと、変なことをもっともらしく言う人々が多かった。そのような訓示を真面目に聞くと、とんでもない人生の浪費になる。 今回のダッカ事件で、ようやく

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  • エイプリルフールではない (3) - ブログ版『ユーリの部屋』

    今日付で、小学校三年生から読み始めた新聞の購読(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080208)を一切止めた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160313)。神経がざわつくようなくだらない記事を、朝からわざわざ大きな活字で読んで時間を無駄にする必要はないと、家族会議で決定したからだ。 新聞販売店の人々の生活とも関わるので心苦しいが、仕方がない。 私の場合、ここ何年も、クラシック音楽番組以外、テレビを滅多に見ていない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131213)。朝夕のラジオ・ニュースで、国内外の日々の世の中の動向には最低限ついていけると思っている。近辺の治安や自然災害の警報などは、町にメール登録をして

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  • 事の終わり - ブログ版『ユーリの部屋』

    東大イスラム学科「後輩」の池内恵氏は、同志社神学部とN氏について、次のように総括する(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf)。 「彼が文章で明確にしている原理主義的な真意を読み取れずに、「中田先生は過激派を批判してくれる当のイスラーム法学者だ。彼こそ「対話」の相手だ」と思って彼を鳴り物入りで迎えたが、彼には別のアジェンダがあるので、やがてジハードに参加するために自主的に辞任して旅立ってしまわれた」。 しばらく封印していた10年前の記憶を引っ張り出してみると、確かにN氏は、最初の頃、現地赴任中にたまたま気づいたマレーシアのキリスト教問題に関して、国内にまともな一次資料もなく、指導教官も見つからず、長年、孤軍奮闘していた私に対して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091230)(http://d.

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  • 再びマレーシアの ‘Allah’ 問題 - ブログ版『ユーリの部屋』

    七草粥の日ですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100107)、マレーシアではまた「神の名」(Allah)を巡る紛争が再燃しています。 おかげさまで毎年の恒例行事となったクリスマス例会からお正月過ぎまでのこの動向は、いい加減、飽き飽きしてきました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131019)。このブログでも細部やエピソードを綴っていますが、どうやら、件を世界中で広まったインターネットニュースで初めて知った方達にとっては、皆さんがそれぞれご意見を述べていらっしゃる様子。インターネットもなく、マレーシア研究もインドネシア研究よりは少なかった頃、誰が誰なのか位置づけもよくわからないままに教会指導者達との緊張した面会を繰り返し、内部資料を見せていただいた1990年代からの私の研究発表など全く無視状態...。聖書翻訳理論も

    再びマレーシアの ‘Allah’ 問題 - ブログ版『ユーリの部屋』
  • 悩ましい係争問題 - ブログ版『ユーリの部屋』

    昨日の午後、雨の中を、初めて「アンネのバラの教会」へ行ってみました。 1980年頃、家で購読していた『毎日中学生新聞』に(参照:2008年2月8日付「ユーリの部屋」)、この教会の記事が掲載されていたのを読み、それ以来、(いつかは)と思っていました。30年かかって、やっと実現。たまたま昨日が、西宮で用のあった日に該当していたというわけです。 湿度の高い蒸し暑い中を、傘を差して、地図を頼りにあちらこちら、何人かの方達に道を尋ねました。山を切り開いて造ったお屋敷町のような高級住宅街で、散歩するだけでも楽しそうな場所。でも、少し疲れました。 よく知らないままに訪れたのですが、たまたまアンネ・フランクのパネル展示中だったので、到着した4時10分から閉館の5時まで、ゆっくり一人で見させていただきました。庭いっぱいに咲いているオレンジ系のバラは、芳香かぐわしく、美しく見事。 アンネ・フランクについては、

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  • 長い冬眠から覚めて - ブログ版『ユーリの部屋』

    明日から4月。年度初めでもあります。この辺りでも、山桜がうっすらと色づいてきました。 ところで、このブログを始めたのが2007年6月。その3ヶ月前には、イスラエル旅行を経験したのでした。今から考えても、当時の切羽詰まった状況の中から、(どうしても現場を見ておきたい)と思いついた旅行で、主人の健康問題や仕事のスケジュールとの関連で、多少の迷いもなかったわけではなかったのですが、(よく行かせてもらえたなぁ、でも、あの時行けて、当によかった)と思います。その前後には、30冊ぐらい、イスラエルとパレスチナに関するを読みあさり、やっと混乱のもつれがほどけたような感触もありました。実はまだ、写真やメモの整理が終わっていないのですが、それほど濃密で充実した1週間だったということです。 やはり、物事にはタイミングというものがあり、できる時にパッと思い切ってやってみる勇気も必要です。 振り返れば、あの当

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  • アラブのキリスト教とマレーシア - ブログ版『ユーリの部屋』

    以下は、2003年に書きかけて、結論に至らないまま放置してあった下書き原稿です。(ユーリ) 「アラブのキリスト教とマレーシアのクリスチャン ――ムスリムとの共存過程における比較――」 (2003.4.2.− 未完原稿) これは、マレーシアのキリスト教会におけるマレー(シア)語使用問題をリサーチする中で、派生的に関心を寄せたテーマである。しかしそのルーツを辿れば、確か高校生の頃、家の棚にあった新約聖書のページのそこかしこに、「エジプト」「シリアのアンティオキア」「アラビア」「メソポタミア」など、学校やマスメディアで教わった「西洋のキリスト教」のイメージとは程遠い地名を見出し、なぜ公教育ではこちらの方を教えないのだろう、と素朴な疑問を抱いた経験に由っている。それが、後年思いがけずマレーシア滞在の機会に恵まれたことで、ささやかな一考察へと結びついたわけである。 文末に挙げた二冊の文献の記述によ

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  • こんな日本にしたのは.... - ブログ版『ユーリの部屋』

    「はじめに」 大学は学問の府であり、研究と教育を使命とするものであることは、いうまでもありません。しかし、研究と教育を行うのは教員であり、学生はもっぱら教育を受ける受動的なものと考えるのは正しくないと思います。研究と教育とは真理の探求という目標においてつらなっており、その限りでは、学生も教わりながら真理の探求に参加するものです。諸君たちは、そのみずみずしい感受性や思考力を大いに活用して、新しい知識の創造に、能動的、積極的に取りくんでいかねばなりません。 さて、新入生をふくめて、現在学で学んでいる学生諸君は、来るべき21世紀には、丁度40才代を迎える人達です。年令的には、まさに円熟し、新世紀の文字通りリーダーたるべき人達です。この際、思いを新たにして、我執をすてて虚心にかえり、我々の先達の歩んできた道に反省を加え、正と邪とを判別するきびしい批判精神を武器に、きたるべき新世紀の文字通り百年の

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  • マレーシア流「神の名」論争 - ブログ版『ユーリの部屋』

    マレーシアでは、年末から今日にかけて、そして恐らくは少なくとも今後も数日間は、「神の名」問題で、さまざまな議論や主張が交錯しそうです。 もちろん、関連ニュースは、マレーシアからも送られてきますが、すべてGoogle Alertでチェックして、ワードに落としてあります。もう既に、このお正月分だけで、100ページ以上にもなってしまいました。アップは、熱が冷めた頃、ゆっくり整理しながらやっていく予定です。 それにしても、この国は、毎年毎年、よく飽きもせず、年末からお正月過ぎまで、「神の名」だけで、政治的、民族的、感情的、神学的、宗教的側面について、素人から専門家まで、同じ事を繰り返し議論できるものですね。 マレーシアの研究をしていない人にとっては、(あ。おもしろい)となって、すぐに英語ニュースを和訳してネット上で流すのでしょうが、実はこれ、1980年から続いている問題です。政治家の中には、明らか

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  • 諸宗教の神学 - ブログ版『ユーリの部屋』

    昨晩は、夫の身を案じながらも、講座代を全額支払ったからということもあり、大阪クリスチャンセンターで佐藤全弘先生の「諸宗教神学」と題するご講義を受けてきました。 相変わらず、27名ぐらいの中高年の男女が集まり、熱心にノートをとっていました。先生の方も、ご高齢にもかかわらず、大きな張りのある声で、2時間、水も飲まずに立ったままでのお話でした。 若いお兄ちゃんお姉ちゃん達相手に、大学で同じ講義をされたとしても、もしかしたら、関心がなかったり、眠かったりで、全体の集中度が下がるのでしょうが、大人向けというのは、問題意識がはっきりしている上、夕方6時半から8時半という時間帯に、わざわざ出向いてお話を聞こうという向学心があって、先生としても楽しみなのではないでしょうか。 昨日の講義は、インド系神学者の他宗教に対する考えが二例、ご紹介されました。急速に多様化する世界にあって、キリスト教神学も従来のままで

    諸宗教の神学 - ブログ版『ユーリの部屋』
  • マレー語 宗教文化の視点から - ブログ版『ユーリの部屋』

    以下の文章は、2003年5月23日に書いたまま放置してあったものです。(ユーリ) 先頃、名古屋で催された記念行事に出席する機会があった。70代の仏教系の研究者が中心となった会合である。そこで話題にのぼったのが、現在の大学改革に対する痛烈な批判であり、知的伝統の崩壊を憂える嘆きであった。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」と徒然草(第五十二段)にもある通り、高度経済成長期に学校時代を過ごした私のような者には、襟を正して傾聴すべきお話であると痛感した。 この先生方は、1960年代半ばからマレーシアを含めた東南アジア地域の実証研究をなさっていたグループである。複雑多様なマレーシアについてほとんど何も知らず、きちんとしたマレー語の基礎訓練を受けることもなく、突然、大学院推薦という形で国際交流基金の采配によりマレーシアに派遣され、ルックイースト政策に奉仕せざるを得なかった二十代半ばの私にとっ

    マレー語 宗教文化の視点から - ブログ版『ユーリの部屋』
  • 非ムスリムの無関心 - ブログ版『ユーリの部屋』

    7年前に書いたまま放置してあった文章の続きです。(ユーリ) 派遣前の一ヶ月間、母校名古屋大学のキャンパスにいたマレーシア留学生(華人)から、即席のマレー語会話訓練を受けた。『マレー・ジレンマ』『マレーシアの社会と文化』など、当時入手できる限りの日語文献は、マレーシアへ持っていった。マレーシア滞在二年目の91年の段階で『ラーマン回想録』もヤオハンで購入した。日語をマレー人学生に教える仕事のかたわら、あちらこちらに線を引きながら、必死になってそれらの文献を読み、現代マレー世界を理解しようとした。そんな未熟な教師ながらも、学生達は一生懸命になってついてきてくれた。一時帰国した際、日の大学についての不満や苦情も聞かせてくれた。9.11事件の一ヶ月前、偶然、マラヤ大学図書館にいた私に「○○先生」と声をかけてくれたのは、十年前には教室でおとなしかった男子学生であった。「先生、懐かしいです。どうし

    非ムスリムの無関心 - ブログ版『ユーリの部屋』
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