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2008年5月4日のブックマーク (2件)

  • Javaの冗長な記法って小クラス主義の現れではないかな - 矢野勉のはてな日記

    Java以下は無駄に長い駄文です。なんか書いてみたはいいもののうまくまとまらなかった。ごく一部しか表せなかった気がする。これではInputStreamReaderとかがたくさんオブジェクトを連結しないと使えないめんどくささをなぜ許容できるか、しか表せてない... もともとは「 Java における質的でない記述がどのように大規模開発に役立つのか - kwatchの日記」がらみの話です。文中にいくつか「アクセッサが簡潔に定義できない」「FileReader に文字コードを渡せない」のような例があって、「それらが改善されたら大規模開発になにか不利益があるのかどうか」という具体的な質問があったので私はそこにコメントしときました。私はコメント欄に「不利益なんてないよ」と回答しました。実際のところ、後方互換性が維持され、言語としての統一性が維持されるなら別に不利益なんてあるわけない。あるとしたらマネ

  • カトリックの擁護 Defence of Catholicism: 神の存在証明(1)

    「神の存在証明」は、ある種かなりマイナーなテーマである。なぜなら、神は存在すると思っている人にとっては「存在証明」など無用の長物だろうし、神は存在しないと思っている人にとっても同様だからだ。神を信じている人のほとんどは、神の存在証明によって論理的にそう信じたわけではあるまい。また、神を信じていない人は、いかに素晴らしい神の存在証明をしたところで、だからゆえに信じる、ということはまずない。となると、「神の存在証明」に真剣に取り組む者は、よほどの物好きか変人の類ということになる。 では「神の存在証明」の存在証明ならぬ存在意義は何か。一つには、身も蓋もない言い方かも知れないが、弁証あるいは護教という意味がある。信じている人間が改めて存在証明によって信じる必要はないが、信じていない人からの異論に対して、合理的に反論するための手段としてである。つまり、信じない人を信じさせるためではなく、神の存在を信

    polynity
    polynity 2008/05/04
    catbirdさんによる電波コメントが興味深い。