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ブックマーク / www.hirax.net (2)

  • hirax.net::「”もし”と”もしも”の違い」で「もしも明日が」を論理的に読み解く

    最新記事(inside out)へ  | 年と月を指定して記事を読む(クリック!) / 2001/ 2002/ 2003/ 2004/ 2005/ 2006/ 2007/ 2008/ 2009/ 2010/ 2011/ 2012/ 2013/ 2014/ 2015/ 2016/ 2017/ 2018/ 2019/ 2020/ 2009年1月 を読む << 2009年2月 を読む >> 2009年3月 を読む 「もし」と「もしも」は、似ている言葉だけれど、違う言葉だ。たとえば、新明解国語辞典 (第3版 )の頁をめくってみると、一番目にあるのは「もし:将来起こりうることのひとつを取りあげて言うことを表す」というものだ。それに対し、「もしも」をひくと「もしも:”もし”を強めて言う言葉。特に起こってはならないことを予測して言う言葉(もしもの事(=万が一の事。特に死)」とある。確率的に考えれば、「も

  • hirax.net::旧約聖書と「あぼーん」::(2007.07.01)

    先日、「文学を科学する」というを読んで、こんな一節に惹かれた。 文章は書かれて発表されたとたんに、書き手の所有物ではなくなるのです。 (その一方)作者の手を放たれたテキストは読者の所有物になるのではありません。それは、…膨大な言葉同士の関係に入り込むのであって、つまり作者のものでも読者のものでもなくなるのです。 作者のものなら作者の解釈だけが唯一の真実ですし、読者のものならどんな恣意的な解釈も可能です。しかし、それが作者のものでも読者のものでもないからこそ、文学作品は常に新しい読み方ができる、いいかえれば繰り返し読むことに耐えられるものになるのです。 「文学を科学する」 P.65 - 66 この一節を読みつつ、ふと、巨大掲示板 2ちゃんねる の「あぼーん」という言葉を思い出した。問題がある発言が書き込まれた時、書き込みの題・内容・日時などがすべて 「あぼーん」と書き換えられるシステム、そ

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