プラントハンター西畠清順氏が企画した「世界一のクリスマスツリー」をめぐって議論が続いている。 ネット上ではさまざまな批判や分析が行われ、「中止を求めるキャンペーン」にも現時点で18,000人もの人々が署名しているらしい。 西畠さんは「議論になることが僕の願い」と言っていたらしいが、少なくともこのプロジェクトが多くの人々の感情を揺り動かしたことは確かだ。 ぼく自身もこの出来事にはどこか心をかき乱されるものがあった。 そこで、ぼくにできることとして、「そもそもクリスマスツリーとは何か?」という観点から、この出来事を自分に引きつけて考えてみたいと思う。 シュタイナーは、ヨーロッパで「クリスマスにもみの木を飾る」のは、せいぜいが200年程度の近代における新しい習慣だという。そこに彼は近代の人々の一種の「逃避願望」を見ている。 何からの逃避かというと、「キリスト体験」からの逃避なのだという。 いうま
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