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内田樹に関するponnaoのブックマーク (8)

  • 内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) @gendai_biz

    内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか 他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人 自己の正当性ばかりをやたら主張する。他人の揚げ足を取っては喜ぶ。他者の痛みに思いが至らず、幼稚な論理を振り回す。気持ち悪い、変な人間がこの国を跋扈している。あなたの周囲にもいますよね。 呪いをかける人たち 現代日社会は「呪い」の言葉が巷間に溢れ返っています。さまざまなメディアで、攻撃的な言葉が節度なく吐き散らされている。 現実に、ネット掲示板に「死ね」と書かれ、それにショックを受けて自殺する人たちがいる。これを「呪殺」と呼ばずにどう呼べばいいのでしょう。 中世までの日人は、呪いの実効性を信じていました。実際に呪いや祟りで人は死に、それに対する呪鎮の技法も存在した。現代人は、呪いなどというものは存在しないと思っています。でも、私たちの社会でもやはり呪いは活発に機能しています。

    内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) @gendai_biz
  • 困難な時代を生きる君たちへ - 内田樹の研究室

    神戸新聞の元日配達号に「中高生のために」一文を草して欲しいと頼まれた。 困難な時代を生きる君たちへというタイトルを頂いた。 神戸新聞購読者以外の方の眼には止まらなかったものなので、ここに再録する。 みなさんがこれから生きて行く時代はたいへんに困難なものとなります。 戦争に巻き込まれるとか、大災害に襲われるとかいうことではありません。そうではなくて、みなさんがこれから幸福な人生を送るために、どういう努力したらいいのか、その「やりかた」がよくわからないということです。 まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることがむずかしくなった。 ただし、「むずかしくなった」だけで、まるで不可能になったわけではありません。そこがむしろ問題なんです。受験勉強なんか無駄、学歴なんか無意味、資格や免状も

  • 学ぶ力 - 内田樹の研究室

    「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。 中学二年生になったつもりで読んでね。 「学ぶ力」 「学ぶ力」 日の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは  「試

  • 感情表現について - 内田樹の研究室

    海江田経産相が国会で落涙したことについて、週刊現代から電話取材を受けた。 「どう思いますか?」と訊かれたので、こんなふうに答えた。 どうして「そういうこと」が起きるのか。 理由は二つ考えられる。 一つは「感情表現が抑制できない人が増えている」という解釈。 一つは「感情表現について抑制的である必要はない」という考え方が広く定着したという解釈。 たぶん、その両方の理由によるものだと思う。 感情は自分の内面に根拠をもっていると私たちは思いがちだが、ほんとうはそうではない。 脳科学が教えるところによれば、私たちは感情を外部にあるものの模倣を通じて学習するのである。 ミラーニューロンの働きについてはこれまでも何度も書いてきた。 他人がある動作をしているときに、それを見ているものの脳内ではそれと同じ動作を指示するニューロンが発動する。 ミラーニューロンは、行為をするときにも、知覚するときにも動くのであ

  • 才能の枯渇について - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。 天賦の才能というものがある。 自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。 外部からの贈り物である。 私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。 才能は「贈り物」である。 外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。 どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。 私はそのように考えている。 才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。 私がこれまで見聞きしてきた限りのこ

  • 既視感のある青少年健全育成条例についてのコメント - 内田樹の研究室

    東京都の青少年の健全な育成に関する条例の制定をめぐって、表現規制についての議論がさかんである。けれども、「有害な表現」とは何かという根の問題は主題的には問われていない。 最初に確認しておきたいのは、「それ自体が有害な表現」というものは存在しないということである。 どれほど残虐で猥褻な図画や文字であっても、マリアナ海溝の底や人跡未踏の洞窟の中に放置されているものを「有害」と呼ぶことはできない。どのような記号も人間を媒介とすることなしには有害たりえないからである。全米ライフル協会の定型句を借りて言えば、有害なのは人間であって、記号ではない。 「有害な表現」というのは人間が「有害な行為」をした後に、「これが主因で私は有害な行為に踏み切りました」とカミングアウトしてはじめてそのように呼ばれることになる。 有害な行為の実行に先んじて(有害な行為抜きで)、存在自体が有害であるような記号というものは存

  • 教育のコストは誰が負担するのか? - 内田樹の研究室

    増田聡くんがツイッターで、奨学金について考察している。 もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。学生向け社会奉仕活動付きローンとか、強制労働賃金(返済義務あり)とか、いいのがとっさに思いつかないけど、現実を的確に解釈しかつ人口に膾炙するキャッチーな概念をこういうときにこそ考案するのが人文学の仕事なのではなかろうか。マジで。 すくなくとも現状の奨学金は奨学金ではなく貸学金と呼ぶべきだよな。 貸学金:たいがくきん。うっかり借りてしまうと社会奉仕を義務づけられ単位取得が滞りしまいには退学に追い込まれてしまう、恐ろしい学生ローンのこと。 今知ったんですが「貸学金」という言葉は中国語に存在しまして、うちの留学生の王さんにきいたところを総合するとほぼ日の学生支援機構「奨学金」と同種の学生貸付制度であるようだ(99年開始だとのこと)。一方で、中国には返済不要のちゃんとした奨学金も存在する。よっぽど

  • 内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」() @gendai_biz

    テレビは見ない。新聞もも読まない。マスメディアは世の中の急激な変化に戸惑うばかり。なぜ見なくなったのか。なぜ読まなくなったのか。内田教授はその理由を「作り手の劣化」と断じる。 先がない業界 日のメディア業界は、新聞も、図書出版も、テレビも、きわめて厳しい後退局面にあります。ビジネスモデルが、一変してしまいました。とにかくもう業界的には「先がない」状態だと思います。お気の毒ですけど。 その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのためにメディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。 先日の民主党代表選の報道でも、とても気になったことがありました。 菅直人総理はじめ、政治家のぶら下がり取材をしている記者たちが、とにかく若い人ばかりなんです。 20代から、せいぜい30代前半まで。ちょっと前までバラエテ

    内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」() @gendai_biz
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