アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。
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http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130417/1366223210 scopedog さんのエントリをふまえて。 中公新書の『南京事件』における秦氏の犠牲者数推定は、その推定手法から判断する限り、蓋然性と不法性が相当に高いケースに絞るという方針でなされているものと言えます。同じ『南京事件』というタイトルの新書(岩波)を出している笠原氏の場合には蓋然性や不法性を判断する際にもう少し緩い基準を用いています。これ自体は事実認識における相違というより歴史記述をめぐる理念の相違とでも言うべきことでしょう。「最低限これくらいのことはあった、と確実に言える」ことを記述しようとするのか、それとも確実性では劣るものの出来事の実際のスケールにはより近いかもしれない記述をめざすのか。私自身は、前者のような態度が史実の矮小化に利用されることを懸念しますし、その懸念は(scoped
一週間ほど前に、私のツイッターアカウントあてにネトウヨが「南京虐殺の証が有れば教えてくれる?」などとメンションを送ってきたので、定番の資料集リストを第一弾として提示したうえで「全部読み終わったらまた連絡ください。続きを教えます」と返答したところ、速攻で「転進」をはじめるというお決まりの結果となりました。ツイートをいくつか削除しているようですが、その削除されたツイートでは「この手の証言はずいぶん見てきたけど」「君の証と言うのは証言のみなのか?」だのと、ご丁寧に自らの無知を晒すハッタリをかましてくれていました。 これがまったく特別な事例でないことは当ブログの読者の方であればよくご存知だと思います。南京事件にせよ、旧日本軍「慰安所」制度にせよ、ネトウヨはそもそもどれほどの「証拠」が積み重ねられているかすら知ろうとしませんので、「資料集」として編纂され刊行されている「証拠」を突きつけられただけでも
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