もちろん、それぞれ固有の文脈を持っているので、同一視するべきではないだろう。一部で問題にされた*1発言も、実際にはなぞらえているだけであり、全く同一と主張しているわけではなかった*2。 靖国は指導者のみを葬っているのではなく、多くの末端の兵士や軍属とともに祀られている。しかし北方で凍死させられたドイツ兵と南方で餓死させられた日本兵、彼らに同情すればこそ指導者を顕彰するような施設に置くべきではないという考えもできる。 そして、わざわざ戦後に指導者や責任者を合祀したり、遺族の意思を拒絶したりもしている。追悼の意思を利用することこそあっても、追悼のための施設ではないのだ。 靖国神社という霊言機関 - 法華狼の日記 日本とドイツ、神社と墓地とで宗教観が違うことはたしかだが、それを理解してもらえれば批判がおさまるかというと、そうではないだろう。 たとえば祟らないように顕彰しているという釈明もあるが、