東日本大震災発生翌日の2011年3月12日午前4時45分ごろ、福島第一原発の1・2号機の運転員が詰める中央制御室に、ある装備品が届けられた。顔をすっぽり覆うマスクと、限度いっぱいの100ミリシーベルトの放射線量を浴びるまで作業が続けられるよう、80ミリシーベルトになるまで警報音がならないよう調整された「APD」すなわち警報付きポケット線量計だった。 ——— この白いもやもやというのは、聞いたときに何だと。 吉田「蒸気だと思いました」 ——— やはり、何かどこか漏れているんじゃないかというような認識だったんですかね。 吉田「はい」 ——— その後、4時30分ごろなんですが、余震による津波の可能性から中央制御室の方に、現場操作の禁止が指示されると書いてあるんですが、これは、ようするに余震の影響というのもあったんですかね。 吉田「あります。この辺、ちょっとデータを覚えていませんけれども、震度5強
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