2017年6月29日のブックマーク (2件)

  • 「映画は1.4倍でみます」と言ったら、女の子に死ぬほどドン引きされた話 - 『週報』北野唯我のブログ

    事件が起きた。あれは多分秋だったと思う。全てはこの一言から始まった。 「俺、映画、1.4倍速で観るんだよね」 隣にいた女の子は、「え?」みたいな驚いた表情を見せた。そしてその2秒後に「は?」みたいな軽蔑するような顔に変わった。なぜなら彼女には「コンテンツ」に対する強い思い入れがあったからだ。具体的には、アーティストの仕事をしていたからだ。彼女は続けた。 「え、ありえないんですけど。」 「ありえない、よね……、でも見ちゃうんだよね」 「……」 「……」 私は倍速で見るメリットを伝えた。例えば、(1)1.4倍速で見れば、120分の映画が僅か85分で観れること、(2)テンポが早くなり、「眠くならない」こと、(3)速聴効果で、もしかしたら「脳にもいいこと」などを語った。 しばらく沈黙が続いた後、彼女はこう続けた。 「……それは、彼女と一緒に居てもですか?」 「うん、たまに」 「……」 「……」 事

    「映画は1.4倍でみます」と言ったら、女の子に死ぬほどドン引きされた話 - 『週報』北野唯我のブログ
    potohud
    potohud 2017/06/29
    映画だけが特別視されてると述べて、例えば本は?と言ってるけど、「いつも本は飛ばし読みで落書き書いたりもしてる」って言ってる人居たら、同じようにドン引きされると思うが…
  • 社会を変えるためには過激な行動も仕方ないと言っている人は

    障害者の権利擁護とは逆の立場で過激な行動を行った植松のやり方も肯定するのかな。 植松があの事件を起こしたから、現場で働く人間の労働環境を改善しようという機運が高まってきたわけだけど、それも「闘争の結果、権利を勝ち取った」のだから良しとするのかな。 秋葉原の加藤の乱では非正規雇用が問題視されるようになったが、過激行動容認派はあれも肯定するのかな。 私は、どんな立場であれ、過激な行動を起こして社会を変えようとすることは批難されるべきだと考える。 内心どう思うと構わないが、少なくとも表向きは過激派を肯定するのはやめるべきでは? 過激な行動は、逆の立場の過激な行動をも誘発しかねない。 障害者に対するヘイトを高める。 社会を変革できるという良い面だけを過大評価し、ヘイト感情を高め第二第三の植松を産むという負の面は見ようとしない。 青い芝運動という成功体験があるので、それを模倣する者が続出しているわけ

    社会を変えるためには過激な行動も仕方ないと言っている人は
    potohud
    potohud 2017/06/29
    単に自力で階段登るという違法性も無い行為と、傷害・殺人を同レベルで「過激な行動」と一括りするのは暴論すぎる。