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  • 飯田隆「展望 言語論的転回の世紀の後で」(下): 分析哲学書評

    第三に、ウィトゲンシュタインをどうしたいのかという疑問が残る。私から見て、飯田の世代の日人哲学者たちがウィトゲンシュタインに対して示す畏敬の念は十分には実感しにくいものである。 以下はあくまで私見だが、一般の読者のために説明すると、日人の分析哲学者はおおよそ3世代に分けることができると思う。関東圏では、第一世代は戦後の日で分析哲学を築いた、石黒ひで(元慶大)、大森荘蔵(元東大駒場)、黒田亘(元東大郷)といった人たちである。第二世代はその弟子にあたり、現在の哲学界の主力部隊である、飯田隆(慶大)、丹治信春(日大)、野矢茂樹(東大駒場)など。さらにその人たちに学んだ若手の第三世代には、柏端達也(千葉大)、金杉武司(高千穂大)、松阪陽一(首都大)等がいる。私もこの中では第三世代に属する。(なお、ここにあげた人々は私がたまたま思い出しただけであり、あげなかった方々と何か比較したわけではない

  • 飯田隆「展望 言語論的転回の世紀の後で」(上): 分析哲学書評

    飯田隆「展望 言語論的転回の世紀の後で」(『岩波講座哲学03言語/思考の哲学』岩波書店2009年p. 1-12) 内容 一 言語論的展開と言語哲学 二 自然哲学の哲学的探究 三 ウィトゲンシュタインの影 評者による要約 言語論的転回のもとでの哲学は次の二つの主張によって特徴づけられる。一つは「哲学の問いは、言語の論理の誤解から発生する」であり、もう一つは「哲学への問いへの答えは、言語的な事柄についての考察を通じて得られる」である。第一の主張に関係する哲学は、二つの言語哲学に分けることができる。一つは来の言語哲学であり、指示、真理、意味についてのアプリオリで理論的な研究である。これには、フレーゲ、ラッセル、タルスキ、クワイン、クリプキ、パトナムらの業績が含まれる。もう一つは哲学的言語学であり、自然言語についての必ずしもアプリオリでない研究である。これには、オースティン、グライス、ストローソ

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