2012年6月7日のブックマーク (5件)

  • まるでヤクザ! シベリア鉄道物流で「みかじめ料」要求 日本政府がロシア政府に抗議+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    【カザン(ロシア西部)=佐々木正明】ユーラシア大陸の東西をつなぐ物流網で、ロシア政府が国家収入獲得の戦略インフラと位置づけるシベリア鉄道で、貨物輸送を依頼した日などの業者が正規運賃以外に、「荷物を安全に送り届けるため」として「護衛料」の支払いを強制されていたことがわかった。日政府は日露経済交流の阻害要因として、ロシア政府に正式に抗議を申し入れた。 露極東のウラジオストクとモスクワを結ぶ全長約9300キロのシベリア鉄道をめぐっては、近年、アジアと欧州をつなぐ大動脈として注目を集め、管理する国営ロシア鉄道が、貨物輸送の高速化に着手。日政府も、海運以外の欧州への物流ルートを確保することは戦略的利益につながるとして、輸送網の整備について協力を表明してきた。 しかし、実際の運用面では問題点も多く、複雑な税関手続きや振動などによる荷物の破損の危険性、所要日数と運行の遅れなどが関係者から指摘されて

    pribetch
    pribetch 2012/06/07
    ヤッサバ・ジンみたいなのがいるんだな。
  • 「エリザベスEU女王」が欧州を救う

    資格は十分 格式ばった王室と活気ある民主主義を両立したエリザベス女王(6月5日、ロンドン) Andrew Winning-Reuters イギリスのエリザベス女王に手紙を出すときの宛て先は、「Her Majesty The Queen(女王陛下)」だけでいい。住所はもちろん、どこの女王かさえ書かなくても届く。だったら、いっそどこの女王でもいいのではないか? 即位60年を記念する「ダイヤモンド・ジュビリー」のお祝いに、提案したいことがある。彼女をヨーロッパの女王に迎えるのだ。 もちろんこんな提案が、次のEU(欧州連合)首脳会議で話し合われることはないだろう。危機的状況にあるスペインの銀行の救済案にすら合意できないヨーロッパの首脳たちが、同じ君主を戴くことでまとまれるはずはない。ヨーロッパの王に名乗りを上げた最後の人物はナポレオンだが、彼についてはいまも多くの批判がある。さらに、政治家に過剰な

    pribetch
    pribetch 2012/06/07
    EUの理念を提唱したのはハプスブルク家の人だったような…。
  • これが Google IME の恐いところ(実例編) - 原子メールの届いた夜に

    一か月ほど前に次の記事を読みました。 「これが Google IME の恐いところ « 頭ん中」 私は普段はATOKを使っているので、Google日本語入力は、よほど固有名詞をがたくさん出てくる文章を書く必要があるときしか使いません。で、ATOKは色々サジェストしてくれるんですけど(ら抜き言葉でよく怒られる)、ときどきなんでこれが変換できないんだ、というのがあります。ATOKの場合、変換できない理由は、「そもそも自分が読み方を間違っている」か「何かしらの理由でその言葉が変換されないように設定されている」のいずれかです*1。前者だと素直に助かるし、後者は……まあ自分で辞書登録すればいいといえばいいです。 ところで、上記の記事については、次のようなブックマークのコメントがついていました。 そもそも入力の時点で間違っている方が悪い。その自覚がないから自分の間違いをIMEのせいにしてこんなこと書い

    これが Google IME の恐いところ(実例編) - 原子メールの届いた夜に
    pribetch
    pribetch 2012/06/07
    大昔のことえりは「おそるべし」を「お剃るべし」と変換してツルツルにされた。
  • 中村禎里「日本のルイセンコ論争」(みすず書房) 1950年代にニセ学問が日本の科学者を席巻していた。党派的なイデオロギー談義で学問的な批判が抑圧された。 - odd_hatchの読書ノート

    ソ連の「科学者」ルイセンコは1930年代にスターリンの知己を得て、国家的な遺伝学ならびに育種学の中心となり、彼の学説に基づく品種改良や農業生産がおこなわれた。彼の主張する遺伝学は、(1)獲得形質の遺伝、(2)細胞全体が遺伝体である、(3)進化の動因は自然選択や適者生存ではない、(4)生物の進化の方向は生物自身に内在している、(5)モルガン・メンデル遺伝学は西洋資主義のイデオロギーを補完する、など。いくつかの研究はあったが実験やデータに粗雑さがある一方、マルクス主義的な理論構成を合致していた。人民が革命の意志を持つことにより、自身を「革命家」と位置づけ、党とともに反対勢力と闘争するというボリシェヴィキの思想と一致する部分があったわけだ。ソ連の政策が対ファシズムから対資主義に変換するときに、科学も動員する必要があり、共産主義イデオロギーに合致する理論ということで政治的に使われたというわけだ

    中村禎里「日本のルイセンコ論争」(みすず書房) 1950年代にニセ学問が日本の科学者を席巻していた。党派的なイデオロギー談義で学問的な批判が抑圧された。 - odd_hatchの読書ノート
    pribetch
    pribetch 2012/06/07
    ルイ・パンコと土下座ウルスを思い出した。
  • https://online-multiplayer.com/bf2142/bf2142_weapons.php