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柄谷行人と<教養>に関するprisoner022のブックマーク (1)

  • paint/note 2007-07-25

    講談社文芸文庫の「近代日の批評3(明治・大正編)」をぽつぽつ再読している。ここに出てくる多くの批評家や作家を僕は知らない。徳富蘇峰とか荒畑寒村とかいう名前に対する教養は僕には欠けている。が、未知の名前がばんばん出て来てはガンガン切られていく(評価されていく)ようなが、なぜだかとてもリアリティのある感覚で読み進められる。その理由がはっきりするのは、明治・大正期の批評全般を検討している対談者達が、最後に“批評を批評してきた批評家である自分自身”を、更に批評し再検討している箇所だと思う。例えば出席者の野口武彦氏は次のように言う。 四回にわたるシンポジウムで、非常に大きくかつはっきりした議論の枠組みはできていたと思う。それは大ざっぱに言えば、明治、大正、昭和という年号を超えて、日的なるもの、あるいは共同体的なるものから何らかの形で−何らかというのは宗教であれ、思想であれ、文学であれという意味

    paint/note 2007-07-25
    prisoner022
    prisoner022 2007/07/29
    自分は自由にやれている(新しいことをやれている)と思うような者こそ、根本的にある構造を反復しているだけに過ぎない。そしてなおかつ、「思想の本来的な外部性」というのは(時代の構造によっては)消去されない
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