背番号10が監督になると、ろくなことがない。 それは世界フットボールにおける一つの定説である。スペインの田舎町で会った初老の指導者は、「10番の選手は王様としてキャリアを送っておるきに、いつも自分が一番でないと我慢ならん。自己中心的性格が集団をまとめるのに邪魔になるぜよ。マラドーナなんてその典型やき」と訳知り顔で話していたものだが、大きくは的を外していない。 一瞬のひらめきで芸術作品を作り上げる天才たちは、自尊心が強く、ナルシストで、気が短かったりする。ピカソも、ミロも、太宰治も変態的な気分屋だった。その性格は集団のリーダーにはあまり向いていない。サッカー界の芸術家、ナンバー10経験者。彼らも現役時代に偉大であればあるほど満足な指導経験もなしに監督をやりたがり、挙げ句、喝采(かっさい)を送りたくなるほど鮮やかに失敗している。 日本サッカーの背番号10、その代名詞だった男は果たしてどう