オーベルジーヌ実食レポ 食べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の本格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモン食ってんのか 許せねえよ………
Amazon から プログラミング言語Erlang入門 が届きました。 どんな構成だろうね、と会社で同僚数人とわいわいやっていたら、「フィボナッチ数列を計算するサーバー」という例があって、みんなのツボに入りました。Erlang の並列計算処理能力とネットワークプログラミングのしやすさを示すという上で良い例だと思うのですが、「フィボナッチ数列を計算する」というのと「ネットワークサーバーを書く」、という二つのテーマの不思議なギャップが面白いのでしょう。 そういえば関数型言語が得意な id:maoe は、はてなの採用面接の際に、はてなのボーナス計算を計算するシステムを作ってきたのですが、なぜかクライアント/サーバシステム、ネットワークサーバーを Haskell で、クライアントを Scheme で書き、プロトコルが S 式という実装をみんなの前で披露して、周囲の笑いを誘っていました。 ちょっとし
何かを表現するのはとても大事なことだけど、何かを表現しないことが、とても大事なことになる場合がある。言語化することで明らかになることもあれば、言語化することで失われてしまうこともあり、言語化されないことが重要な事実である場合もある。表現すること、言語化することは、簡単に「像」を提供するから、つい簡単なものばかり見てしまって、それ以外のものが見えなくなる。もうひとつ表現と言語化の効果があって、それらをすることはアクセル、しないことはブレーキ。表現したり言語化したりすることで、私が発したそれらのシグナルは、一旦外に出て、外部から私にフィードバックを返すから。だから状況によっては、それを止めなきゃならない場合だってあるよ。このへん自分で見ることができるようになって、身体の感覚や意識の感覚をちゃんと感じて、思う通りにコントロールできるとき、それはとてもおもしろい遊びになったりする。
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