ブックマーク / suumo.jp (4)

  • 飲食好きにはまさにヘヴン!千歳烏山は帰って来たくなる飲み屋がある街 - SUUMOタウン

    著: アリマックス 私は生まれてから今までの32年間、東京都世田谷区にある千歳烏山という場所に住んでいます。 この年になっても地元を一度も出たことがないということは、外の世界を知らなくてちょっとかっこ悪いかな?と思うこともあります。 それでも私は、焼き鳥屋さんからもくもくと立ち上る煙や、商店街に流れるアナウンス、パン屋さんの前を通ったときのふんわりとした香りを忘れることはできないし、これからもずっと千歳烏山に住みたいと思っています。 世田谷区というと、華々しい高級住宅街なんてイメージをもっている方もいるかと思いますが、千歳烏山は世田谷区のなかでも庶民的で、はじめて訪れる人でもどこか懐かしさを感じられる街ではないかと思います。 少し歩けば三鷹市と杉並区にぶつかる、世田谷区の端にある京王線千歳烏山駅は特急以外の列車全てが停車し、新宿から最速で約12分程度と、都心へのアクセスは良好。千歳烏山から

    飲食好きにはまさにヘヴン!千歳烏山は帰って来たくなる飲み屋がある街 - SUUMOタウン
    ptrangnobod
    ptrangnobod 2017/03/11
    雰囲気がいい感じ!
  • さあ、心地よいため息ばかり出る町へ「秋田県鹿角市」 - SUUMOタウン

    著: 大牧 圭吾 「きりたんぽ発祥の地?この『鹿角』って、なんて読むの?ああ、『かづの』って読むんですね。知らないなぁ……」 雑誌『TURNS』のプロデューサーにこんな質問をしていた私は、その3カ月後に「この町ほど、笑顔が温かい人が集まっている地域って、他にあります?」と、逆に質問しているくらいに、鹿角という町に惚れてしまっていた。 毎月3と8がつく日に開催される名物の「花輪朝市」。優しい笑顔のお母さんが、豆炭こたつに招いてくれた 2015年9月、はじめて鹿角という土地に足を踏み入れた。 なぜ読み方も知らないこの土地に来ることになったかというと、『TURNS』と、私が編集長を務める『ニッポン手仕事図鑑』で、鹿角市の移住促進PR動画を制作することになったからだ。 その日から今まで、もう何度も鹿角を訪れている。 いろいろな人と出会い、うっとりとする風景を眺め、鹿角のを楽しんできた。昨年の12

    さあ、心地よいため息ばかり出る町へ「秋田県鹿角市」 - SUUMOタウン
    ptrangnobod
    ptrangnobod 2017/02/27
    いいですね!
  • 海と共に生きる愛媛の町「三津」 - SUUMOタウン

    著: 田丸雅智 ショートショートという短くて不思議な小説を専門に書く「ショートショート作家」を名乗り活動している。職業柄か、取材などをしていただく際、作家としてのルーツはどこにあるかと聞かれることがある。そういうとき、ぼくはこう即答する。自分のルーツは故郷・愛媛県にある、と。もっというと、松山市にある海の町・三津(みつ)にある、と。 両親が共働きだったぼくは、小さいころ、祖父母の仕事場に預けられることが多かった。自営業で船の造船関係の仕事をしていた祖父母の仕事場があったのが、三津という町だった。 三津はかつて主に漁業で栄えた漁師町だ。ぼくが育った20年以上前の三津もまた、その面影をまだまだ残した場所だった。 よく、リヤカーを引いた魚屋の老婆が回ってきていた。ぼくはリヤカーを見つけると駆け寄って、覗きこむのが好きだった。ぎっしり氷の詰められた白い発泡スチロールには、アジやサバ、タチウオやハギ

    海と共に生きる愛媛の町「三津」 - SUUMOタウン
    ptrangnobod
    ptrangnobod 2017/02/20
    いいなぁ!
  • あたたかな川をさかのぼるように、山形へ(寄稿:アサイ) - SUUMOタウン

    著: アサイ まだインターネットに触れていなかった高校3年生の秋。僕は学内誌に出す私小説の締め切りを気にしながら、進路指導室で大学資料と地図帳を眺めていた。 北海道で生まれ育った僕が進学先として考えた条件は「雪の降る古い町」「市内を大きな川が流れている」「目当ての学部がある」の3つ。これらを満たし、選んだのが山形県だった。 今思えばアナログな手法だったが、そうして進んだ大学は学業も日常生活もとても楽しく、特に古い寮で友人たちと過ごした時間は何物にも代え難いものとなった。そういった良い思い出を抱いて地元に戻り、働いて、と出会い結婚して、子どもが生まれた。 生活はうまくいっていたと思う。それでも僕は故郷を離れる決断をした。は「あなたとならどこへでも行くよ、出会ったころから言ってたじゃない」と言って背中を押してくれた。 そして僕は山形県に戻ってきたのだ、家族と一緒に。 ◆ 山形は藩政時代の経

    あたたかな川をさかのぼるように、山形へ(寄稿:アサイ) - SUUMOタウン
    ptrangnobod
    ptrangnobod 2017/02/16
    良いと思う。
  • 1