タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

クトゥルーに関するpub99のブックマーク (2)

  • 高橋葉介、伊藤潤二らが「クトゥルー神話」を描く展覧会

    高橋葉介、伊藤潤二らによる「クトゥルー神話」をモチーフにした作品の展覧会が、日5月2日より銀座・ヴァニラ画廊にて、5月24日より銀座・スパンアートギャラリーにて開催される。 この展覧会では、ビジュアル・ホラーブック「邪神宮――闇に囁くものたちの肖像」に収録された作品を展示。「邪神宮」には高橋や伊藤のほか、人形作家、小説家などさまざまなアーティストが参加しており、各作家とも2点ずつ作品を寄稿している。そのうち1点はヴァニラ画廊にて、もう1点はスパンアートギャラリーにて展示されるので、ファンはどちらも足を運んでみてほしい。 なおスパンアートギャラリーでは、5月28日に高橋葉介、宇野亜喜良、三浦悦子によるサイン会を開催。ギャラリーにて購入した書籍がサインの対象となる。 邪神宮 ~邪~ The Evil 期間:2011年5月2日(月)~5月14日(土) 時間:12:00~19:00(土・祝日~1

    高橋葉介、伊藤潤二らが「クトゥルー神話」を描く展覧会
  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

    日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
  • 1