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妖怪に関するpub99のブックマーク (6)

  • 悪樓 - Wikipedia

    浦川公佐画『金毘羅参詣名所圖会』より「日武尊悪魚を退治す」 悪樓(あくる)は、日神話に伝わる悪神。 概要[編集] 吉備国(岡山県)の穴海に住んでいた巨大魚。その大きさは、近づく船をひと飲みにするほど[1]。『日書紀』景行紀廿七年に表れる「惡神」「吉備穴濟神」[2]、『古事記』景行天皇条に表れる「穴戸神」のことであるとする説がある。 伝承[編集] 日武尊が熊襲討伐後の帰り道にこの悪樓に遭ったが、暴れ狂う悪樓の背にまたがるや、自慢の剣で退治した[1]。また、素戔嗚尊も悪樓と戦ったことがあるとする説もあるが、真偽は不明[3]。水木しげるは日書紀や古事記に現れる悪神としているが、そういった記述は悪樓という名前も含めて原典には見当たらず、悪樓の意味も確かではない[4]。江戸時代に書かれた『金毘羅参詣名所圖会』にある日武尊が退治した悪魚と呼ばれるものとの関連性の指摘があり[4]、藤沢衛彦が

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  • 怪異・妖怪画像データベース|国際日本文化研究センター

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  • 妖怪の浮世絵画像を貼ってみる 無題のドキュメント

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/03/20(土) 22:00:47.37 ID:UOvI7iO70 ・同一の妖怪は、基的に版行された時代が早い順から掲載 ・ただし九尾の狐みたいにストーリーのある場合は時系列で ・崇徳上皇は怨霊扱いなので含めない(wikiだと三大悪妖怪だけど) とりあえず手始めにお馴染みどころから 【鬼】 月岡芳年:和漢百物語 貞信公 月岡芳年:桃太郎豆蒔之図 葛飾北斎:八面九足の霊鬼、悉達太子を試して四句の偈を授る図 【萌え萌え妖怪事典】 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/03/20(土) 22:10:11.59 ID:UOvI7iO70 歌川国芳:百人一首之内 大納言経信 歌川国芳:東海道五十三対 土山 河鍋暁斎:十二ヶ月之内五月【MAY】 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]

  • http://www.paw.hi-ho.ne.jp/mistletoe/youkaiAA.htm

  • 片輪車 - Wikipedia

    片輪車(かたわぐるま)は、江戸時代の怪談などの古書に見られる日の妖怪。炎に包まれた片輪のみの牛車が美女または恐ろしい男を乗せて走り、姿を見たものを祟るとされる。 京都の片輪車[編集] 著者不詳『諸国百物語』より「京東洞院かたわ車の事」[1] 延宝年間の怪談集『諸国百物語』巻一「京東洞院かたわ車の事」に記述がある。京都の東洞院通で毎晩のように片輪車が現れ、人々はみな外出を控えていた。ある女が興味位で夜、家の扉の隙間から外を覗くと、牛車の車輪だけが転がって来て、車輪の中央には凄まじい形相の男の顔が小さな人間の足をくわえており「我を見るより我が子を見ろ」と叫んだ。驚いて女が我が子のもとへ行くと、子供は足を裂かれて血まみれになっていた。片輪車がくわえていたのは、その子供の足だったのである[1]。 滋賀県の片輪車[編集] 寛保年間の雑書『諸国里人談』に記述がある。寛文時代の近江国(現・滋賀県)甲

    片輪車 - Wikipedia
  • 画図百鬼夜行 - Wikipedia

    『画図百鬼夜行』(がずひゃっきやこう、がずひゃっきやぎょう[1])は、安永5年(1776年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。前篇陰・前篇陽・前篇風の上中下3巻。『百鬼夜行』とも。 概要[編集] 各丁に1体ずつ妖怪の姿を描き、そこにそれぞれの名称を添えて紹介しており形態の画集で、現代の目から見れば「妖怪図鑑」といえるようなスタイルとなっている。題名に用いられた「百鬼夜行」とは来は妖怪たちが集団で跳梁する様子のことであり、室町時代の『百鬼夜行絵巻』などはその通り妖怪の集団を描いたものだが、書は妖怪を1点1点、個別の光景に切り分けて描いた点が特徴である[2]。 河童・天狗・又・狸・狐といった幅広く知られる有名な伝承に見られる妖怪も多く描かれているほか、鉄鼠(頼豪阿闍梨)や黒塚(安達ヶ原の鬼婆)などや、『古今百物語評判』(1686年)に見られる妖怪たち(垢嘗・釣瓶火・鎌鼬)など先行作で描かれ

    画図百鬼夜行 - Wikipedia
    pub99
    pub99 2009/08/21
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