タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

WIKIPEDIAと妖怪に関するpub99のブックマーク (2)

  • 悪樓 - Wikipedia

    吉備国(岡山県)の穴海に住んでいた巨大魚。その大きさは、近づく船をひと飲みにするほど[1]。『日書紀』景行紀廿七年に表れる「惡神」「吉備穴濟神」[2]、『古事記』景行天皇条に表れる「穴戸神」のことであるとする説がある。 日武尊が熊襲討伐後の帰り道にこの悪樓に遭ったが、暴れ狂う悪樓の背にまたがるや、自慢の剣で退治した[1]。また、素戔嗚尊も悪樓と戦ったことがあるとする説もあるが、真偽は不明[3]。水木しげるは日書紀や古事記に現れる悪神としているが、そういった記述は悪樓という名前も含めて原典には見当たらず、悪樓の意味も確かではない[4]。江戸時代に書かれた『金毘羅参詣名所圖会』にある日武尊が退治した悪魚と呼ばれるものとの関連性の指摘があり[4]、藤沢衛彦がそれは大魚悪楼のことであり、悪楼とは東夷や王族を意味するとしている[5]。

    悪樓 - Wikipedia
  • 片輪車 - Wikipedia

    片輪車(かたわぐるま)は、江戸時代の怪談などの古書に見られる日の妖怪。炎に包まれた片輪のみの牛車が美女または恐ろしい男を乗せて走り、姿を見たものを祟るとされる。 著者不詳『諸国百物語』より「京東洞院かたわ車の事」[1] 延宝年間の怪談集『諸国百物語』巻一「京東洞院かたわ車の事」に記述がある。京都の東洞院通で毎晩のように片輪車が現れ、人々はみな外出を控えていた。ある女が興味位で夜、家の扉の隙間から外を覗くと、牛車の車輪だけが転がって来て、車輪の中央には凄まじい形相の男の顔が小さな人間の足をくわえており「我を見るより我が子を見ろ」と叫んだ。驚いて女が我が子のもとへ行くと、子供は足を裂かれて血まみれになっていた。片輪車がくわえていたのは、その子供の足だったのである[1]。 寛保年間の雑書『諸国里人談』に記述がある。寛文時代の近江国(現・滋賀県)甲賀郡のある村で、片輪車が毎晩のように徘徊してい

    片輪車 - Wikipedia
  • 1