タグ

ブックマーク / suumo.jp (2)

  • わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン

    著: 水沢なお 沼津は、わたしがうまれてはじめて暮らした街であり、うまれてはじめて書いた詩の名前だ。 十五歳から十八歳までのほとんどの時間を沼津で過ごした。隣町に住んでいたわたしは、沼津市内の高校へ電車と自転車を乗り継ぎ通学していた。海沿いの、芸術科のある高校だった。わたしはそこで、三年間美術を学んでいた。 教室の窓からは松林が見えた。その奥では、空の色と溶け合いながら波が揺蕩っていた。朝、クラスメイトに挨拶をするときも、水晶体、とノートに書き写す生物の授業中も、窓の外に身体を乗り出しぽんぽんと黒板消しを叩いているときも、いつでも海が存在していることが不思議だった。 沼津駅南口 今年の一月、わたしは沼津駅に降り立った。駅のホームに踏み出した瞬間、あたたかい、と思った。その日はよく晴れていて、雲の少ない空からは絶えず透明な日差しが降り注いでいた。わたしは、静岡や沼津に降る雪をほとんど見たこと

    わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン
  • 酒乱、暴力、流血が日常。1985年の新宿ゴールデン街で過ごした青春。――小説家・馳星周さん - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:藤和成 ノワール小説の名手として知られる馳星周さん。 北海道田舎町で育った読書好きの少年は、18歳で上京。同時に、新宿ゴールデン街という、新宿歌舞伎町のなかでも最もカオスな一画に足を踏み入れ、濃密な青春時代を過ごします。 そこを訪れる、身勝手な酔っ払いたちを嫌悪していたという馳さん。しかし一方で、自らを育て、小説家としての礎を築いてくれたゴールデン街には愛憎半ばする特別な感情を抱いているようです。 新宿ゴールデン街で過ごした、青春時代について伺いました。 一通の手紙から膨らんだ、東京への思い ―― 少年時代からの虫だったそうですね。ただ、当時は自宅近くに大きな屋がなかったとか? 馳星周さん(以下、馳):地元は北海道の日高地方。サラブレッドの生産地で、人より馬が多いと言われるような、ものすごい田舎でした。屋も街に一軒しかなく、それ

    酒乱、暴力、流血が日常。1985年の新宿ゴールデン街で過ごした青春。――小説家・馳星周さん - SUUMOタウン
    pukuman
    pukuman 2019/04/04
  • 1