以前ガンジーの自伝や著述を読んでいろいろ調べていたとき、印象的だったのは、ガンジーが妙に「食」の問題にこだわったり(ガンジーの母親はジャイナ教徒で、ガンジー自身も菜食主義者だった)、イギリス人がインドにもたらした鉄道・弁護士・医者を批判したりしていることで、当時の私はやや当惑を感じたことを覚えている。 先日、C・ダグラス・ラミス氏の『ガンジーの危険な平和憲法案』(集英社新書、2009年)を図書館で借りて読んだのだが、その中で啓発的だったのは、ガンジーが「コンスティテューション」という言葉をさまざまな文脈・用法で使っていたという指摘である。*1 ラミス氏は、ガンジーの文章を検討して、1.体質、2.組織の構成、3.イギリス憲法、4.神の意思、5.組織の会則、6.革命戦略、といった意味での用例を挙げ、そこから「社会のボディ(身体)としてのコンスティテューション」という発想・イメージをガンジーが持