気持ちで許される暴力を認める人、よほど暴力に縁のない生活を送ってきたか、あるいは徹底して加害側の社会にいたかのどっちかでは。 みんなウィルスミスの感情に寄り添おうとしてるけども。 ウィルスミスに殴られる側かもしれない自分を想像できない人が暴力の是非を問うとか茶番だよ。 エモい暴力、みたいな概念それこそ創作の中だけにしとけやって感じだよ。 「文脈があれば許される暴力がある」って知ってる人間が被害者の立場維持したままどれだけ相手を追い詰めることができるか。相手に一切の非がなくたってできるんだよ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く