維盛は東国の事情に精通している長井の斎藤別当実盛を召して聞いた。 「実盛は強弓の名があるが、そなたほどの強弓精兵は関東八カ国にいかほどいるのか」 実盛は軽蔑の笑いをこめて答えた。 「君は実盛を強弓のものと思召さるるか。 私はわずか十三|束《ぞく》の矢を引くに過ぎませぬ。 私ほどのもの、関東八カ国には数えられぬくらいおります。 関東で大矢を引くというのは、何れも十五|束《そく》以上のもの、 弓も強力の者が五人、六人かかって張るものでございます。 こうした弓で射られた矢は、鎧の二、三枚は軽く射通してしまいます。 関東で大名と申される武士は少くも五百騎は養っており、 戦場にては、親討たるれば子これを踏み越え、 子討たるれば親これを乗り越えて、最後まで戦うのです。 西国の軍というのは、親討たるれば子は引き下がって、 嘆き悲しんで仏事を営み、忌《いみ》あけてからやおら戦う、 また子が討たるればこれを