サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ChatGPT
syounagon.hatenablog.com
——暴風の神であり出雲系の英雄でもあるスサノヲの命が、高天の原に進出し、 その主神である天照らす大神との間に、誓約の行われることを語る。 誓約の方法は、神祕に書かれているが、これは心を清めるための行事である。 結末においてさまざまの異系統の祖先神が出現するのは、 それらの諸民族が同系統であることを語るものである。—— そこでスサノヲの命が仰せになるには、 「それなら天照らす大神《おおみかみ》に申しあげて黄泉《よみ》の國に行きましよう」 と仰せられて天にお上りになる時に、山や川が悉く鳴り騷ぎ國土が皆振動しました。 それですから天照らす大神が驚かれて、 「わたしの弟が天に上つて來られるわけは立派な心で來るのではありますまい。 わたしの國を奪おうと思つておられるのかも知れない」 と仰せられて、髮をお解きになり、 左右に分けて耳のところに輪にお纏《ま》きになり、その左右の髮の輪にも、 頭に戴かれる
かくてイザナギの命が左の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は 天照《あまて》らす大神《おおみかみ》、 右の目をお洗いになつた時に御出現になつた神は月讀《つくよみ》の命、 鼻をお洗いになつた時に御出現になつた神はタケハヤスサノヲの命でありました。 以上ヤソマガツヒの神からハヤスサノヲの命まで十神は、 おからだをお洗いになつたのであらわれた神樣です。 イザナギの命はたいへんにお喜びになつて、 「わたしは隨分《ずいぶん》澤山《たくさん》の子《こ》を生《う》んだが、 一|番《ばん》しまいに三人の貴い御子《みこ》を得た」と仰せられて、 頸《くび》に掛けておいでになつた玉の緒をゆらゆらと搖《ゆら》がして 天照《あまて》らす大神にお授けになつて、 「あなたは天をお治めなさい」 と仰せられました。 この御頸《おくび》に掛《か》けた珠《たま》の名をミクラタナの神と申します。 次に月讀《つくよみ》の命に、
——みそぎの意義を語る。人生の災禍がこれによつて拂われるとする。—— イザナギの命は黄泉《よみ》の國からお還りになつて、 「わたしは隨分|厭《いや》な穢《きたな》い國に行つたことだつた。 わたしは禊《みそぎ》をしようと思う」 と仰せられて、筑紫《つくし》の日向《ひむか》の橘《たちばな》の小門《おど》の アハギ原《はら》においでになつて禊《みそぎ》をなさいました。 その投げ棄てる杖によつてあらわれた神は衝《つ》き立《た》つフナドの神、 投げ棄てる帶であらわれた神は道のナガチハの神、 投げ棄てる袋であらわれた神はトキハカシの神、 投げ棄てる衣《ころも》であらわれた神は煩累《わずらい》の大人《うし》の神、 投げ棄てる褌《はかま》であらわれた神はチマタの神、 投げ棄てる冠であらわれた神はアキグヒの大人の神、 投げ棄てる左の手につけた腕卷であらわれた神は オキザカルの神とオキツナギサビコの神とオキツ
後《のち》にはあの女神の身体中に生じた雷の神たちに たくさんの黄泉《よみ》の國の魔軍を副えて追《お》わしめました。 そこでさげておいでになる長い劒を拔いて後の方に振りながら逃げておいでになるのを、 なお追つて、黄泉比良坂《よもつひらさか》の坂本《さかもと》まで來た時に、 その坂本にあつた桃の実を三つとつてお撃ちになつたから皆逃げて行きました。 そこでイザナギの命はその桃の実に、 「お前がわたしを助けたように、 この葦原《あしはら》の中の國に生活している多くの人間たちが 苦しい目にあつて苦しむ時に助けてくれ」 と仰せになつてオホカムヅミの命という名を下さいました。 最後には女神イザナミの命が御自身で追つておいでになつたので、 大きな巖石をその黄泉比良坂《よもつひらさか》に塞《ふさ》いで その石を中に置いて兩方で對《むか》い合つて離別の言葉を交した時に、 イザナミの命が仰せられるには、 「あな
イザナギの命はお隱れになつた女神にもう一度會いたいと思われて、 後《あと》を追つて黄泉《よみ》の國に行かれました。 そこで女神が御殿の組んである戸から出てお出迎えになつた時に、 イザナギの命《みこと》は、 「最愛のわたしの妻よ、あなたと共に作つた國はまだ作り終らないから還つていらつしやい」 と仰せられました。 しかるにイザナミの命《みこと》がお答えになるには、 「それは殘念なことを致しました。 早くいらつしやらないのでわたくしは黄泉《よみ》の國の食物を食べてしまいました。 しかしあなた樣がわざわざおいで下さつたのですから、 なんとかして還りたいと思います。 黄泉《よみ》の國の神樣に相談をして參りましよう。 その間わたくしを御覽になつてはいけません」 とお答えになつて、御殿のうちにお入りになりましたが、 なかなか出ておいでになりません。 あまり待ち遠だつたので左の耳のあたりにつかねた髮に插《
葦垣《あしがき》のまぢかきほどに侍《はべ》らひながら、 今まで影踏むばかりのしるしも侍らぬは、 なこその関をや据《す》ゑさせ給ひつらんとなん。 知らねども武蔵野《むさしの》といへばかしこけれど、 あなかしこやかしこや。 点の多い書き方で、裏にはまた、 まことや、暮れにも参りこむと思ひ給へ立つは、 厭《いと》ふにはゆるにや侍らん。 いでや、いでや、怪しきはみなせ川にを。 と書かれ、端のほうに歌もあった。 草若みひたちの海のいかが崎《さき》いかで相見む田子の浦波 大川水の (みよし野の大川水のゆほびかに思ふものゆゑ浪《なみ》の立つらん) 青い色紙一重ねに漢字がちに書かれてあった。 肩がいかって、しかも漂って見えるほど力のない字、 しという字を長く気どって書いてある。 一行一行が曲がって倒れそうな自身の字を、 満足そうに令嬢は微笑して読み返したあとで、 さすがに細く小さく巻いて撫子《なでしこ》の
「いいえ、かまいませんとも、令嬢だなどと思召《おぼしめ》さないで、 女房たちの一人としてお使いくださいまし。 お便器のほうのお仕事だって私はさせていただきます」 「それはあまりに不似合いな役でしょう。 たまたま巡り合った親に孝行をしてくれる心があれば、 その物言いを少し静かにして聞かせてください。 それができれば私の命も延びるだろう」 道化たことを言うのも好きな大臣は笑いながら言っていた。 「私の舌の性質がそうなんですね。 小さい時にも母が心配しましてよく訓戒されました。 妙法寺の別当の坊様が私の生まれる時 産屋《うぶや》にいたのですってね。 その方にあやかったのだと言って母が歎息《たんそく》しておりました。 どうかして直したいと思っております」 むきになってこう言うのを聞いても孝心はある娘であると大臣は思った。 「産屋《うぶや》などへそんなお坊さんの来られたのが災難なんだね。 そのお坊さ
座敷の御簾《みす》をいっぱいに張り出すようにして裾をおさえた中で、 五節《ごせち》という生意気な若い女房と令嬢は双六《すごろく》を打っていた。 「しょうさい、しょうさい」 と両手をすりすり賽《さい》を撒《ま》く時の呪文を早口に唱えているのに 悪感を覚えながらも大臣は従って来た人たちの人払いの声を手で制して、 なおも妻戸の細目に開いた隙《すき》から、 障子の向こうを大臣はのぞいていた。 五節も蓮葉《はすっぱ》らしく騒いでいた。 「御返報しますよ。御返報しますよ」 賽の筒を手でひねりながらすぐには撒こうとしない。 姫君の容貌は、ちょっと人好きのする愛嬌《あいきょう》のある顔で、 髪もきれいであるが、 額の狭いのと頓狂《とんきょう》な声とにそこなわれている女である。 美人ではないがこの娘の顔に、 鏡で知っている自身の顔と共通したもののあるのを見て、 大臣は運にのろわれている気がした。 「こちらで
まだ除夜の鐘には、すこし間がある。 とまれ、今年も大晦日《おおつごもり》まで無事に暮れた。 だが、あしたからの来る年は。 洛中の耳も、大極殿《だいごくでん》のたたずまいも、 やがての鐘を、 偉大な予言者の声にでも触《ふ》れるように、 霜白々と、待ち冴えている。 洛内四十八ヵ所の篝屋《かがりや》の火も、 つねより明々と辻を照らし、 淡い夜靄《よもや》をこめた巽《たつみ》の空には、 羅生門の甍《いらか》が、夢のように浮いて見えた。 そこの楼上などには、いつも絶えない浮浪者の群れが、 あすの元日を待つでもなく、 飢《う》えおののいていたかもしれないが、 しかし、 とにかく泰平の恩沢《おんたく》ともいえることには、 そこらの篝番の小屋にも、町なかの灯にも、 総じて、酒の香がただよっていた。 都の夜靄は酒の匂いがするといってもいいほど、 まずは穏やかな年越しだった。 「さ、戻りましょうず。……若殿、
玉鬘の西の対への訪問があまりに続いて人目を引きそうに思われる時は、 源氏も心の鬼にとがめられて間は置くが、 そんな時には何かと用事らしいことをこしらえて手紙が送られるのである。 この人のことだけが毎日の心にかかっている源氏であった。 なぜよけいなことをし始めて物思いを自分はするのであろう、 煩悶《はんもん》などはせずに感情のままに行動することにすれば、 世間の批難は免れないであろうが、 それも自分はよいとして女のために気の毒である。 どんなに深く愛しても春の女王《にょおう》と同じだけに その人を思うことの不可能であることは、自分ながらも明らかに知っている。 第二の妻であることによって幸福があろうとは思われない。 自分だけはこの世のすぐれた存在であっても、 自分の幾人もの妻の中の一人である女に名誉のあるわけはない。 平凡な納言級の人の唯一の妻になるよりも決して女のために幸福でないと 源氏は知
「どうしてだれが私に言ったことかも覚えていないのだが、 あなたのほうの大臣がこのごろほかでお生まれになったお嬢さんを引き取って 大事がっておいでになるということを聞きましたがほんとうですか」 と源氏は弁《べん》の少将に問うた。 「そんなふうに世間でたいそうに申されるようなことでもございません。 この春大臣が夢占いをさせましたことが噂《うわさ》になりまして、 それからひょっくりと自分は縁故のある者だと名のって出て来ましたのを、 兄の中将が真偽の調査にあたりまして、 それから引き取って来たようですが、私は細かいことをよく存じません。 結局珍談の材料を世間へ呈供いたしましたことになったのでございます。 大臣の尊厳がどれだけそれでそこなわれましたかしれません」 少将の答えがこうであったから、 ほんとうのことだったと源氏は思った。 「たくさんな雁《かり》の列から離れた一羽までもしいてお捜しになったの
「貫川《ぬきがは》の瀬々《せぜ》のやはらだ」 (やはらたまくらやはらかに寝る夜はなくて親さくる妻)と なつかしい声で源氏は歌っていたが「親さくる妻」は少し笑いながら歌い終わったあとの 清掻《すがが》きが非常におもしろく聞かれた。 「さあ弾いてごらんなさい。 芸事は人に恥じていては進歩しないものですよ。 『想夫恋《そうふれん》』だけはきまりが悪いかもしれませんがね。 とにかくだれとでもつとめて合わせるのがいいのですよ」 源氏は玉鬘の弾くことを熱心に勧めるのであったが、九州の田舎で、 京の人であることを標榜《ひょうぼう》していた王族の端くれのような人から 教えられただけの稽古《けいこ》であったから、 まちがっていてはと気恥ずかしく思って玉鬘は手を出そうとしないのであった。 源氏が弾くのを少し長く聞いていれば得る所があるであろう、 少しでも多く弾いてほしいと思う玉鬘であった。 いつとなく源氏のほ
月がないころであったから燈籠《とうろう》に灯《ひ》がともされた。 「灯が近すぎて暑苦しい、これよりは篝《かがり》がよい」 と言って、 「篝を一つこの庭で焚《た》くように」 と源氏は命じた。 よい和琴《わごん》がそこに出ているのを見つけて、引き寄せて、 鳴らしてみると律の調子に合わせてあった。 よい音もする琴であったから少し源氏は弾《ひ》いて、 「こんなほうのことには趣味を持っていられないのかと、 失礼な推測をしてましたよ。 秋の涼しい月夜などに、 虫の声に合わせるほどの気持ちでこれの弾かれるのははなやかでいいものです。 これはもったいらしく弾く性質の楽器ではないのですが、 不思議な楽器で、すべての楽器の基調になる音を持っている物はこれなのですよ。 簡単にやまと琴という名をつけられながら無限の深味のあるものなのですね。 ほかの楽器の扱いにくい女の人のために作られた物の気がします。 おやりにな
「りっぱな青年官吏ばかりですよ。様子にもとりなしにも欠点は少ない。 今日は見えないが右中将は年かさだけあってまた優雅さが格別ですよ。 どうです、あれからのちも手紙を送ってよこしますか。 軽蔑《けいべつ》するような態度はとらないようにしなければいけない」 などとも源氏は言った。 すぐれたこの公子たちの中でも源中将は目だって艶《えん》な姿に見えた。 「中将をきらうことは内大臣として意を得ないことですよ。 御自分が尊貴であればあの子も同じ兄妹から生まれた尊貴な血筋というものなのだからね。 しかしあまり系統がきちんとしていて王風《おおぎみふう》の点が気に入らないのですかね」 と源氏が言った。 「来まさば(おほきみ来ませ婿にせん)というような人も あすこにはあるのではございませんか」 「いや、何も婿に取られたいのではありませんがね。 若い二人が作った夢をこわしたままにして幾年も置いておかれるのは残酷
🌿イザナギの命とイザナミの命🌿 【天地のはじめ】 ——世界のはじめにまず神々の出現したことを説く。 これらの神名には、それぞれ意味があつて、 その順次に出現することによつて世界ができてゆくことを述べる。 特に最初の三神は、抽象的概念の表現として重視される。 日本の神話のうちもつとも思想的な部分である。—— 昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神樣は、 お名をアメノミナカヌシの神といいました。 次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、 この御《お》三|方《かた》は皆お獨で御出現になつて、 やがて形をお隱しなさいました。 次に國ができたてで水に浮いた脂のようであり、 水母《くらげ》のようにふわふわ漂つている時に、 泥の中から葦《あし》が芽を出して來るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、 ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。
【序文】 🌸過去の時代🌸 ——古事記の成立の前提として、本文に記されている過去のことについて、 まずわれわれが、傳えごとによつて過去のことを知ることを述べ、 續いて歴代の天皇がこれによつて徳教を正したことを述べる。 太の安萬侶によつて代表される古人が、 古事記の内容をどのように考えていたかがあきらかにされる。 古事記成立の思想的根據である。—— わたくし安萬侶《やすまろ》が申しあげます。 宇宙のはじめに當つては、すべてのはじめの物がまずできましたが、 その氣性はまだ十分でございませんでしたので、 名まえもなく動きもなく、誰もその形を知るものはございません。 それからして天と地とがはじめて別になつて、アメノミナカヌシの神、 タカミムスビの神、カムムスビの神が、 すべてを作り出す最初の神となり、そこで男女の兩性がはつきりして、 イザナギの神、イザナミの神が、萬物を生み出す親となりました。
内大臣は腹々《はらばら》に幾人もの子があって、 大人になったそれぞれの子息の人柄にしたがって 政権の行使が自由なこの人は皆適した地位につかせていた。 女の子は少なくて后の競争に負け失意の人になっている女御《にょご》と 恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから、 大臣は残念がっていた。 この人は今も撫子《なでしこ》の歌を母親が詠んできた女の子を忘れなかった。 かつて人にも話したほどであるから、どうしたであろう、 たよりない性格の母親のために、 あのかわいかった人を行方《ゆくえ》不明にさせてしまった、 女というものは少しも目が放されないものである、 親の不名誉を思わずに卑しく零落をしながら 自分の娘であると言っているのではなかろうか、 それでもよいから出て来てほしいと大臣は恋しがっていた。 息子《むすこ》たちにも、 「もしそういうことを言っている女があったら、 気をつけて聞いておいて
中将を源氏は夫人の住居《すまい》へ接近させないようにしていたが、 姫君の所へは出入りを許してあった。 自分が生きている間は異腹の兄弟でも同じであるが、 死んでからのことを思うと早くから親しませておくほうが 双方に愛情のできることであると思って、 姫君のほうの南側の座敷の御簾の中へ来ることを許したのであるが 台盤所《だいばんどころ》の女房たちの集まっているほうへ はいることは許してないのである。 源氏のためにただ二人だけの子であったから兄妹を源氏は大事にしていた。 中将は落ち着いた重々しいところのある性質であったから、 源氏は安心して姫君の介添え役をさせた。 幼い雛《ひな》遊びの場にもよく出会うことがあって、 中将は恋人とともに遊んで暮らした年月をそんな時にはよく思い出されるので、 妹のためにもよい相手役になりながらも 時々はしおしおとした気持ちになった。 若い女性たちに恋の戯れを言いかけて
「浅はかな、ある型を模倣したにすぎないような女は 読んでいましてもいやになります。 空穂《うつぼ》物語の藤原《ふじわら》の君の姫君は 重々しくて過失はしそうでない性格ですが、 あまり真直《まっすぐ》な線ばかりで、 しまいまで女らしく書かれてないのが悪いと思うのですよ」 と夫人が言うと、 「現実の人でもそのとおりですよ。 風変わりな一本調子で押し通して、 いいかげんに転向することを知らない人はかわいそうだ。 見識のある親が熱心に育てた娘が ただ子供らしいところにだけ大事がられた跡が見えて、 そのほかは何もできないようなのを見ては、 どんな教育をしたのかと親までも軽蔑されるのが気の毒ですよ。 なんといってもあの親が育てたらしいよいところがあると思われるような娘が あれば親の名誉になるのです。 作者の賞《ほ》めちぎってある女のすること、 言うことの中に首肯されることのない小説はだめですよ。 いっ
玉鬘は襟《えり》の中へ顔を引き入れるようにして言う。 「小説におさせにならないでも、 こんな奇怪なことは話になって世間へ広まります」 「珍しいことだというのですか。 そうです。私の心は珍しいことにときめく」 ひたひたと寄り添ってこんな戯れを源氏は言うのである。 「思ひ余り昔のあとを尋ぬれど親にそむける子ぞ類《たぐ》ひなき 不孝は仏の道でも非常に悪いことにして説かれています」 と源氏が言っても、玉鬘は顔を上げようともしなかった。 源氏は女の髪をなでながら恨み言を言った。やっと玉鬘は、 古き跡を尋ぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は こう言った。 源氏は気恥ずかしい気がしてそれ以上の手出しはできなかった。 どうこの二人はなっていくのであろう。 紫夫人も姫君に託してやはり物語を集める一人であった。 「こま物語」の絵になっているのを手に取って、 「上手《じょうず》にできた画《え》だこと」 と
梅雨《つゆ》が例年よりも長く続いて いつ晴れるとも思われないころの退屈さに 六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。 明石《あかし》夫人はそんなほうの才もあったから 写し上げた草紙などを姫君へ贈った。 若い玉鬘《たまかずら》はまして興味を小説に持って、 毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。 こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。 数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、 事実かどうかは別として、 自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。 住吉の姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、 あとにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、 今一歩で卑しい主計頭《かずえのかみ》の妻にされてしまう所などを読んでは、 恐ろしかった監《げん》のことが思われた。 源氏はどこの御殿にも近ごろは小説類が引き散ら
源氏は花散里のほうに泊まるのであった。 いろいろな話が夫人とかわされた。 「兵部卿の宮はだれよりもごりっぱなようだ。 御容貌などはよろしくないが、 身の取りなしなどに高雅さと愛嬌《あいきょう》のある方だ。 そのほかはよいと言われている人たちにも欠点がいろいろある」 「あなたの弟様でもあの方のほうが老《ふ》けてお見えになりますね。 こちらへ古くからよくおいでになると聞いていましたが、 私はずっと昔に御所で隙見《すきみ》をしてお知り申し上げているだけですから、 今日《きょう》お顔を見て、 そのころよりきれいにおなりになったと思いました。 帥《そつ》の宮様はお美しいようでも品がおよろしくなくて 王様というくらいにしかお見えになりませんでした」 この批評の当たっていることを源氏は思ったが、 ただ微笑《ほほえ》んでいただけであった。 花散里夫人の批評は他の人たちにも及んだのであるが、 よいとも悪いと
今日は美しく作った薬玉《くすだま》などが諸方面から贈られて来る。 不幸だったころと今とがこんなことにも比較されて考えられる玉鬘は、 この上できるならば世間の悪名を負わずに済ませたいともっともなことを願っていた。 源氏は花散里《はなちるさと》夫人の所へも寄った。 「中将が左近衛府《さこんえふ》の勝負のあとで役所の者を 皆つれて来ると言ってましたからその用意をしておくのですね。 まだ明るいうちに来るでしょう。 私は何も麗々しく扱おうと思っていなかった姫君のことを、 若い親王がたなどもお聞きになって手紙などをよくよこしておいでになるのだから、 今日はいい機会のように思って、 東の御殿へ何人も出ておいでになることになるでしょうから、 そんなつもりで仕度《したく》をさせておいてください」 などと夫人に言っていた。 馬場殿はこちらの廊からながめるのに遠くはなかった。 「若い人たちは渡殿《わたどの》の戸
五日には馬場殿へ出るついでにまた玉鬘を源氏は訪《たず》ねた。 「どうでしたか。宮はずっとおそくまでおいでになりましたか。 際限なく宮を接近おさせしないようにしましょう。 危険性のある方だからね。 力で恋人を征服しようとしない人は少ないからね」 などと宮のことも いかせも殺しもしながら訓戒めいたことを言っている源氏は、 いつもそうであるが、若々しく美しかった。 色も光沢《つや》もきれいな服の上に薄物の直衣《のうし》を ありなしに重ねているのなども、 源氏が着ていると人間の手で染め織りされたものとは見えない。 物思いがなかったなら、 源氏の美は目をよろこばせることであろうと玉鬘は思った。 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮からお手紙が来た。 白い薄様《うすよう》によい字が書いてある。 見て美しいが筆者が書いてしまえばただそれだけになることである。 今日《けふ》さへや引く人もなき水《み》隠れに生《お》
「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消《け》つには消《け》ゆるものかは 御実験なすったでしょう」 と宮はお言いになった。 こんな場合の返歌を長く考え込んでからするのは感じのよいものでないと思って、 玉鬘《たまかずら》はすぐに、 声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ とはかないふうに言っただけで、また奥のほうへはいってしまった。 宮は疎々《うとうと》しい待遇を受けるというような恨みを述べておいでになった。 あまり好色らしく思わせたくないと宮は朝まではおいでにならずに、 軒の雫《しずく》の冷たくかかるのに濡《ぬ》れて、 暗いうちにお帰りになった。 杜鵑《ほととぎす》などはきっと鳴いたであろうと思われる。 筆者はそこまで穿鑿《せんさく》はしなかった。 宮の御|風采《ふうさい》の艶《えん》な所が 源氏によく似ておいでになると言って女房たちは賞《ほ》めていた。 昨夜《ゆうべ》の源氏が
「あまりに重苦しいしかたです。 すべて相手次第で態度を変えることが必要で、そして無難です。 少女らしく恥ずかしがっている年齢《とし》でもない。 この宮さんなどに人づてのお話などをなさるべきでない。 声はお惜しみになっても少しは近い所へ出ていないではいけませんよ」 などと言う忠告である。 玉鬘は困っていた。 なおこうしていればその用があるふうをして そばへ寄って来ないとは保証されない源氏であったから、 複雑な侘《わび》しさを感じながら玉鬘はそこを出て 中央の室の几帳《きちょう》のところへ、 よりかかるような形で身を横たえた。 宮の長いお言葉に対して返辞がしにくい気がして 玉鬘が躊躇《ちゅうちょ》している時、 源氏はそばへ来て薄物の几帳の垂《た》れを一枚だけ上へ上げたかと思うと、 蝋《ろう》の燭《ひ》をだれかが差し出したかと思うような光があたりを照らした。 玉鬘は驚いていた。 夕方から用意して
まだたいして長い月日がたったわけではないが、 確答も得ないうちに不結婚月の五月にさえなったと恨んでおいでになって、 ただもう少し近くへ伺うことをお許しくだすったら、 その機会に私の思い悩んでいる心を直接お洩《も》らしして、 それによってせめて慰みたいと思います。 こんなことをお書きになった手紙を源氏は読んで、 「そうすればいいでしょう。 宮のような風流男のする恋は、近づかせてみるだけの価値はあるでしょう。 絶対にいけないなどとは言わないほうがよい。 お返事を時々おあげなさいよ」 と源氏は言って文章をこう書けとも教えるのであったが、 何重にも重なる不快というようなものを感じて、 気分が悪いから書かれないと玉鬘は言った。 こちらの女房には貴族出の優秀なような者もあまりないのである。 ただ母君の叔父《おじ》の宰相の役を勤めていた人の娘で 怜悧な女が不幸な境遇にいたのを捜し出して迎えた宰相の君とい
源氏の現在の地位はきわめて重いが もう廷臣としての繁忙もここまでは押し寄せて来ず、 のどかな余裕のある生活ができるのであったから、 源氏を信頼して来た恋人たちにもそれぞれ安定を与えることができた。 しかも対《たい》の姫君だけは予期せぬ煩悶《はんもん》をする身になっていた。 大夫《たゆう》の監《げん》の恐ろしい懸想とはいっしょにならぬにもせよ、 だれも想像することのない苦しみが加えられているのであったから、 源氏に持つ反感は大きかった。 母君さえ死んでいなかったならと、 またこの悲しみを新たにすることになったのであった。 源氏も打ち明けてからはいっそう恋しさに苦しんでいるのであるが、 人目をはばかってまたこのことには触れない。 ただ堪えがたい心だけを慰めるためによく出かけて来たが、 玉鬘《たまかずら》のそばに女房などのあまりいない時にだけは、 はっと思わせられるようなことも源氏は言った。 あ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く