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アユタヤ朝の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 東南アジア史(第7回 スコータイ朝とアユタヤ朝) - 歴史研究所

    アユタヤ朝は、日本史を勉強していても登場する王朝です。何故かといえば、首都アユタヤの日本人町と、この地で活躍した山田長政がとても有名ですから。日本人だけでなく、この国では外人勢力が大変活躍しています。何故なら、王様が寛容だったから。 さてアユタヤ朝は、1350年にラーマティボティ1世(位1350~69年)による建国が始まりです。首都アユタヤは、現在のタイの首都、バンコクの北60kmの地点にあります。 建国されるや否やこの国は、いきなりスコータイ朝をはじめとする周辺国家を支配下に組み入れ、さらにアンコール朝クメール王国に対して繰り返し侵攻。このような中で、アユタヤ朝はクメール人官僚やその下で働いていた人を登用し、クメール的な統治方法を学習していきます。特に学んだのが、農民からの税の取り方だとか。 そして1432年には、アンコール朝はアユタヤの侵攻に耐えきれず、現在の首都プノンペンに遷都します

    • 東南アジア史(第7回 スコータイ朝とアユタヤ朝) - 歴史研究所

      チャオプラヤー川に代表されるこのタイ地域には、7世紀にはモン人によるドヴァーラバティーなどの国家があり、また11世紀からはアンコール朝クメール王国の支配下におかれました。 そんな中、理由は不明ですが、中国南部やヴェトナム東北部から、11世紀頃より少しずつ南下してきた民族があります。それが、タイ族と総称される人々です。彼らは、ラオスやチャオプラヤ川周辺などに個別に移住し、小王朝を建国してゆきます。例えばラオスではランサーン王国が建国されました。 また、北部タイにおいては、アンコール朝の衰退に乗じ、チャオプラヤ上流のスコータイの太守を追い出して、スコータイ朝をはじめとする小王国が建国されます。 このスコータイ朝は、地図でよく解るように東南アジア内陸部の中央に位置します。そのため、東からも西からも文化の影響を受けました。特に影響を受けたのは、やはり元々この地を支配していたアンコール朝からで、政体

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