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東南アジア史(第7回 スコータイ朝とアユタヤ朝) - 歴史研究所
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東南アジア史(第7回 スコータイ朝とアユタヤ朝) - 歴史研究所
アユタヤ朝は、日本史を勉強していても登場する王朝です。何故かといえば、首都アユタヤの日本人町と、... アユタヤ朝は、日本史を勉強していても登場する王朝です。何故かといえば、首都アユタヤの日本人町と、この地で活躍した山田長政がとても有名ですから。日本人だけでなく、この国では外人勢力が大変活躍しています。何故なら、王様が寛容だったから。 さてアユタヤ朝は、1350年にラーマティボティ1世(位1350~69年)による建国が始まりです。首都アユタヤは、現在のタイの首都、バンコクの北60kmの地点にあります。 建国されるや否やこの国は、いきなりスコータイ朝をはじめとする周辺国家を支配下に組み入れ、さらにアンコール朝クメール王国に対して繰り返し侵攻。このような中で、アユタヤ朝はクメール人官僚やその下で働いていた人を登用し、クメール的な統治方法を学習していきます。特に学んだのが、農民からの税の取り方だとか。 そして1432年には、アンコール朝はアユタヤの侵攻に耐えきれず、現在の首都プノンペンに遷都します