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  • 隧道探険隊

    以前より気になっていた、謎のトンネルの調査を行った。 以下は、2002年8月8日のレポートである。 右の地図を見ていただきたい。 秋田と北上を結ぶ古くからの重要路線「平和街道」(国道107号線)と、幽玄な景観を見せる巨大人造湖の錦秋湖の一帯である。 ここは、日本列島の脊梁をなす巨大な奥羽山脈に存在する、天然の切り通しであり、悠久の時をかけて和賀川が作り上げた、極めて大規模なV字峡である。 よって、ここを通う道は数多い。 国道107号線は言うに及ばず、JR北上線。 そして、近年は秋田自動車道が多くのトンネルを穿ち、駆け抜けた。 また、錦秋湖をなす湯田ダムは1964年竣工当時国内有数の規模を誇ったが、その建設は、建設史上に残る巨大な移転事業でもあった。 移転戸数600戸、鉄道付け替え15km、道路付け替え39km、などである。 それらの遺構の多くは深い湖底に沈んだが、渇水期にはその一部が、さも

    • 廃線レポート

      森吉林鉄のダム付け替え区間の探索が4度を数え、いよいよ次で完全踏破も見えてきていた、2004年5月15日。 一通のメールが、私のもとへ届いた。 そこには、衝撃というより他はない一枚の写真と、さらに衝撃的な文章が綴られていた。 その差出人は、ここではT氏としたい。 この1通のメールが、未だ醒めやらぬ新たな興奮、森吉の新しい冒険譚の幕開けを告げたのである。 文章は、いたって簡潔であった。 ここに要約するまでもないほどだ。 太平湖のまだまだずうっと奥に、まだ隧道がある。 貼付されてきた写真の凄まじさもあり、私はその日から問答のように、彼へメールでの質問を続けた。 彼は、徐々に、徐々に、その場所を明かし始めた。 一つ一つ明らかにされるたび、私は期待と、それ以上の無力感を同時に感じていた。 明かされた隧道の場所は、余りにも… 余りにも遠かった。 右図で、青い○で囲んだ一帯に、T氏が示した隧道(以下『

      • 道路レポート

        あなたは、この穴の姿を覚えているだろうか? 忘れもしない、2004年9月22日。 我々、山行が合調隊の3名が、悪天候を押し突入した粒様沢深部の林鉄探索。 延々と濁流を掻き分け、命まで押し流されそうになりつつの遡行。 遭難の恐怖に怯えながら、暗い森で火も起こせぬ野営。 翌9月23日、長い夜が明けると、空は嘘のように晴れ上がっていた。 まもなく我々は、遂にレールの敷かれたるままの軌道跡を発見。 そこは、まさに林鉄探索者垂涎の楽園であった。 さらに上流へと、錆びたレールは何キロも残っていたのだ。 誘われるように、レールを辿り歩く我々だったが、ある地点を境にして、それは途端に消えた。 静かなブナの森の底で、二つの清流が出会い、一つになっていた。 そこで我々は、右の沢を、選んだ。 かつて、狩猟に生きたマタギ衆すら尊んで近づかなかった、山の神の領域。 地形図上には、ただ「様ノ沢」とだけ記された、その峡

        • 【山さ行がねが】隧道レポート 鶏足山の大沢隧道

          2008年7月に「てんてん」さんからお寄せいただいた情報には、茨城県北部の城里町にて一本の廃隧道を発見したという報告が含まれていた。 名称不明、由来不明、前後のルートも未解明、洞内の様子も貫通しているかさえ分からない。 情報は不十分であり、そこから隧道の正体をとらえることは難しかった。 だが、それだけに私は、この場所に対して強い興味を抱くことになった。 地図で見る東茨城郡城里町は、茨城県中東部、笠間市の北にある山間の地区であるようだ。 自身にとって、茨城県の東部は全く未体験の地である。 果たしてそこにはどのような廃道と、廃隧道が待ち受けているのだろう。 久々にプレッシャーの無い期待感を胸に、私は城里町へクルマを走らせた。 目指す廃隧道と思われるものは、最新の二万五千分の一地形図にも記載されている。 確かに前後の道は点線であり、廃道っぽい。 だが、すぐ傍に林道と思しき車道が描かれており、アプ

          • 【山さ行がねが】隧道レポート 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編

            山形県北部、秋田県境に接する丁(ひのと)山地の一角に、かつて真室川森林鉄道はその役目を全うした。 真室川町は森林鉄道の保存に積極的で、同町の真室川町資料館では当時の機関車の動態保存が行われており、休日には多くの人で賑わっている。 保存運転が行われているのは、元来の線路とは全く別の新設された小さな周回コースであるが、かつての路線跡もまた、町内にはよく残っている。 その現状は、今から3年ほど前に何度か当サイトでもレポートしており、駆け足ながらもその概要を紹介している。 (参考レポ:廃線レポ「真室川森林鉄道(安楽城線)」・「一号隧道」) 真室川林鉄安楽城線には合計3本、小又線には1本の隧道が確認されているが、うち安楽城線の2号隧道は内部が水没しており、坑口から20m程度しか判明していない。 貫通しているかどうかも不明なままであったが、3年ぶりに再訪を果たしたので、そのレポートをお伝えしよう。 前

            • 【山さ行がねが】隧道レポート 玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群

              以前公開した廃線レポート「玉川森林鉄道」では、玉川森林鉄道のうち、起点から玉川ダムまでの区間を探索・紹介したが、途中の鎧畑ダム周辺にある新旧線については、新線のみを紹介している。 ダム湖(秋扇湖)に水没した旧線については、素通りせざるを得なかったのである。 だが、2005年7月末、ユウタ氏が当サイトの掲示板に投稿された写真を見て、私は驚いた。 そこに写っていたのは、これまでいくらダム湖の水位が下がっても決して地上には現れることがなかった、旧軌道跡の隧道のように思われたからだ。 再調査の必要を感じた私は、細田ミリンダ氏を誘って現地へ向かった。 → 問題の投稿写真。(ユウタさん ありがとうございます!) 角度がよく分からないものの、従来対岸から見えていた水没隧道よりもさらに深い位置にあるものに見えた。 本文に入る前に、玉川林鉄について簡単におさらいしておこう。 玉川森林鉄道は、大正10年に生保

              • 廃線レポート

                これから始めるレポートは、「山さ行がねが」史上稀に見る困難な戦いに挑んだ、男達の物語である。 計画名は、和賀計画。 発案者は、「ヨッキれん」こと、私。 私が参加を要請したのは、森吉林鉄の合同調査を共にした、「くじ氏」と「パタリン氏」だ。 命掛けは必至となることを説明した上で、なお参加を快諾してくれた猛者達である。 実施日は、2004年5月30日(日)。 現地の天候は、前夜までの雨が嘘のような快晴。 本計画の骨子は、かつて私が単独で探索し、なおなし得なかった極めて条件の悪い道の踏破であり、対象は2路線。 一つは、「平和街道」という名は地元でしか通用しないと思われるが、明治初期に秋田県平鹿郡と岩手県和賀郡とを結ぶ街道として、両県が開削した路線である。 現在の国道107号線は、ほぼこの街道を踏襲している。 その中でも、特に廃止が早く昭和7年には現道に切り替えられた、北上市和賀町仙人地内の約2km

                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                  今回は、林道の紹介だ。 山行がで林道を紹介する事は稀で、それには理由がある。 ずばり、林道は距離が長く、ネタとして冗長なのだ。 このカーブを曲がると、今度はこんな景色で… などとレポートしても、余り楽しくない。 そして、林道は余りチャリに適さない。 通常であれば、バイクの機動性や速度性には叶わないし、林道ネタに終始するならば、バイクを主機動力とする探索者には到底及ばないであろう。 その様な打算があり、そして、そのことが私に林道を敬遠させている。 そして、これは私の趣向の問題だが、一度歴史ある遺構を探して走る楽しみを覚えてしまうと、たかだか十数年内に完成した林道を走る事への興味が薄れてしまった。 山行がを取り巻く林道情勢は、明るくないのが実情なのである。 だが、例外的に林道を走ることがある。 例えば、道が荒れているなど、興味深い状況にある場合。 隧道など、見るべき物件がある場合。 そして、目

                  • 廃線レポート

                    今回は、またも林鉄探訪にお付き合い願おう。 紹介するのは、正式名称「藤琴粕毛内川線」という、大層長い名前の、林鉄である。 秋田県山本郡藤里町の北部、世界遺産登録以来とみに露出度の上がった白神山地、その懐深くに位置する全長3500m足らずの、小規模な支線だ。 規格的には森林鉄道2級であり、昭和8年竣工、昭和38年廃止とされる(JTBキャンブックス刊『全国森林鉄道』巻末資料より)。 この路線を語る前に、藤里町の林鉄の全体像を理解して頂きたく、右の図を用意した。 なぜ面倒なことを要求するかと言えば、今年の山行がでは繰り返しこの地域が取り上げられる公算が高いので、今のうちに把握していただくと、後が楽だと思うのだ。 無論、内川支線単発でも、それなりに見所はあるが、まだまだ藤里の林鉄…ひいては、白神の林鉄は、めちゃくちゃ奥が深そうなのである。 前置きが長くなった。 藤里町は、昭和30年以前は藤琴村と粕

                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 西沢森林軌道

                      まだ私が秋田県に住んでいた2006年の8月。 当時、東京への移住は構想段階に過ぎなかったが、縁あって西沢林鉄の深部を探索している。 今回は、だいぶ前の話になってしまったが、これをレポートしようと思う。 私にとって、東北以外で探索した、最初の森林鉄道である。 山梨・長野・埼玉の3県が山頂で交差する甲武信ヶ岳(標高2475m)と、信玄の隠し金山伝説の残る黒金山(標高2231m)に挟まれた西沢渓谷に沿って、この西沢森林軌道(以下「西沢林鉄」と略)は幅762mm、本線延長14.5kmの軌道を有していた。 本線の起点側(上部)は薊(あざみ)沢線など2本の支線に繋がり、終点(下部)の旧三富村(山梨市)広瀬では三塩森林軌道(以下「三塩林鉄」と略)と接続していた。この三塩林鉄はガソリンカーが運行された高規格なもので、「森林鉄道」といって差し支えのない規模であったが、西沢森林軌道や支線では廃止まで馬力を用い

                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 横須賀市の明治隧道たち

                        横須賀市はトンネルの多い街である。 最近の調べでは、市内にある道路用のトンネルの総数は56で、神奈川県内の総数が81というから、余裕で過半数を占めている。 そして、古いトンネルが多い。 『横須賀市史』によれば、昭和30年には既に42のトンネルが供用されていたという。 多くの地域では「地域最古参」と呼ばれておかしくないような古隧道が、この街には無数にあるわけだ。 なぜ、これだけ多くのトンネルが掘られて来たのか。 それは言うまでもなく地形的な理由が第一である。 同市は全域が三浦半島に位置しているが、この半島には細かな起伏が非常に多い。 さらにトンネルは人が掘るものである。当然、人間の営みが深く関わっている。 同市域は江戸末期以降、浦賀港および横須賀軍港を中心としての市街化が大変進んだが、このことがトンネルを大量に掘らしめた。 次いで、地質的に砂岩が多く掘削に適していたと言うことも、古くから多く

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