www.churobird.work イエスが処刑された当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にありました。ユダヤ教徒ではない総督のピラトにとって、イエスのキリスト自称など取るに足らないことでしたが、ユダヤの指導者たちに扇動された群衆を納得させるためにはイエスの処刑を認めざるを得ませんでした。ユダヤ教のあり方を批判し、人々に神の教えを説いたイエスに対する指導者たちの怒りは、イエスを亡き者にしなくては収まらないほど大きいものになっていたのです。処刑の権限を持たない彼らは、権限を持つローマ帝国側にそれ相応の罪状でイエスを引き渡す必要がありました。そのためにイエスにつけられた罪名は「ローマ帝国に対する反逆罪」という最も重いものでした。 十字架を背負ったイエスが最後に歩いた総督ピラトの官邸からゴルゴダにある聖墳墓教会までの道は、イエスやマリアをふくむ多くの人々の深い思いが込められてヴィア・ドロローサ