その因縁の戦いから約270年後、再び両雄が激突します。 えっ?三浦一族は、宝治合戦で北条氏に敗れて滅亡したのでは…? 確かに三浦宗家は滅びました。しかし、一族のなかで幾人かは、三浦氏持ち前の「執念」とも言うべき粘り強さで生き残りました。 生き残ったのは、分家ながらも三浦義村の血を継ぐ佐原氏。彼らは宝治合戦の折、三浦宗家を裏切って北条方につくと、その後、三浦介の名乗りを受け継ぎました。 時は下って戦国時代…。三浦氏の当主となったのは三浦義同(道寸)。彼は上杉家から養子に入ると、養父の命を奪って三浦の棟梁となりました。 この道寸の前に立ちはだかったのが、伊豆相模に覇を唱えた北条早雲でした。彼は北条を名乗ってはいるものの、血の繋がりは全くない戦国の奸雄でした。 三浦対北条…。なんとも奇妙な宿縁です。しかも、いずれも一筋縄でいかない奸雄…。 宝治合戦から約270年を経て、三浦と北条は再び刃を交える