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今野産業 ガチャガチャの検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 日本のガチャガチャメーカーの先駆者、今野産業とはどんな会社|ガチャガチャ・ガチャポンラボ

    日本のガチャガチャビジネス開拓の功労者今野産業の今野明久社長が2016年3月26日に亡くなられてもうすぐ4年になります。

      日本のガチャガチャメーカーの先駆者、今野産業とはどんな会社|ガチャガチャ・ガチャポンラボ
    • ユージンに奇跡のブレークスルー。ガチャマシーン誕生からベンダー事業部ができるまで|ガチャガチャ・ガチャポンラボ

      YUJIN(ユージン)名前の由来を知ってますか? ユージンのYUは遊ぶで、その当時グループ会社が数社ありました。全て会社の頭にはYOUがついていました。 親会社であるトミーのグループ会社としてスタートしたユージン。本社商品との差別化しなくてはならず、そうなると商品化できるものが当然小物トイに限定される訳です。 本社の玩具を小さくしたもので、売り場は、「キオスク」 「ファミレス」のレジ回り等に置かれ「フックトイ」 「ラックトイ」と呼ばれていました。 そしてガチャガチャは小物玩具や玩具菓子の中身と共通してカプセルに入れて販売し始めます。この当時は、今野産業のマシンを改造して、まだトミーブランドで販売した時代です。 なので、ガチャガチャはユージン社内ではメイン扱いではなかったのです。 幽遊白書のガチャガチャが大ヒット。ガチャガチャマシンの開発に乗り出す メイン扱いされていなかったガチャガチャが、

        ユージンに奇跡のブレークスルー。ガチャマシーン誕生からベンダー事業部ができるまで|ガチャガチャ・ガチャポンラボ
      • 「キン消し」が誘発?ガチャガチャ界の大変革 300億円市場の実態

        半世紀前から親しまれてきたガチャガチャ。実は2月は、アメリカから日本にガチャガチャが上陸した記念すべき月です。ガチャガチャ評論家のおまつさん(@gashaponmani)が、半世紀の歴史を振り返ります。 いざなき景気の中、アメリカから輸入 2月17日で日本でガチャガチャの歴史が始まって 56年目を迎えました。今や日常生活の一部として、至るところで見ることができるガチャガチャ売り場。そのガチャガチャ市場は日本玩具協会の2017年の統計によると、319億円。その後、私が取材した感覚では、現在350億円前後を推移していると思います。 それでは、300億円台の市場 を持つガチャガチャはいつから始まったのか、今回はガチャガチャの歴史を紐解きます。 今から遡ること、およそ55年。1965年2月17日(昭和40年)、国内はいざなき景気が始まるなか、ペニイ商会(現:ペニイ)は、米国のペニイ・キングカンパニ

          「キン消し」が誘発?ガチャガチャ界の大変革 300億円市場の実態
        • ガチャガチャの歴史「第二世代」:1970年~1977年(カオスの時代)●ロケーション乱立期|ガチャガチャ・ガチャポンラボ

          第二世代1970年から始まるロケーションが乱立するこの時期がガチャガチャの無法地帯でした。なんでもありの世界で、この世代に子供であったわたくしは10円時代のガチャガチャに勉強させてもらいました。同じ年であるさくらももこさんのちびまる子ちゃんで西城秀樹のスーパーボールがガチャガチャから何回やってもでてこない話は忘れられません。 なにができてくるかわからないガチャガチャは人生を勉強させてくれますね。 ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。 1970年代には、ガチャビジネスを目指すメーカーや代理店が多く参入してきます。関西からもガチャ参入の声が聞こえてきて関東圏をせめてくるのではという雰囲気がの中重田龍三氏が1970年に西日本ペニイを設立します。 1966年にアサヒグラフにガチャビジネスが紹介されてから売上が伸びるに従い関西圏でもガチャカンパニーが設立さ

            ガチャガチャの歴史「第二世代」:1970年~1977年(カオスの時代)●ロケーション乱立期|ガチャガチャ・ガチャポンラボ
          • タカラトミーグループのガチャマシン歴史|ガチャガチャ・ガチャポンラボ

            1988年新生ユージンで本格的にガチャガチャビジネスをしようと製作されたマシンがこの白いマシンです。 この前に赤い同型のトミーロゴマシンがありましたが現存しておりません。このマシンは元々は今野産業さんのマシンを改良したもので上の頭の扇型の蓋部分に企業ロゴを入れさせていただき店舗に設置しておりました。 新規参入でガチャマシンが多く設置されることはなく私も入社したばかりのころこのマシンはほぼ見かけるころはありませんでした。唯一あるとすればユージンが手掛けていたゲームセンター三店舗ぐらいです。 スリムボーイというガチャガチャマシンです。最初スリムボーイという名ではなく製品番号がつけられていました。 当時の社長がマシンにも名前があったほうがよいということで名前つけることになります。現在名前が無いのが残念です。 台湾ではまだこのタイプのマシンはいたるところで働いています。 幽遊白書のヒットとUFOキ

              タカラトミーグループのガチャマシン歴史|ガチャガチャ・ガチャポンラボ
            • 「バリューマーチャンダイズ」の広瀬さんからガチャガチャ歴史を語る|ガチャガチャ・ガチャポンラボ

              ガチャガチャの歴史において、「ペニイ」と「今野産業」のこの2社は大きな存在です。しかし、もう一人ガチャと言えば、テレビ東京の「モヤモヤさまぁ~ず」で有名になった「バリューマーチャンダイズ」を外す事はできません。 ガチャガチャ歴史に関しては、テレビ用に脚色されてる感は否めません。ただし、同時代のガチャガチャビジネス立ち上げの功労者であります。 ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。 バリューマーチャンダイズの広瀬社長のガチャビジネスとの出会い 生前の今野社長には広瀬久照さんのお話は聞いていましたが、お会いすることもできずにお亡くなりなられたこと、非常に残念でなりません。 「バリューマーチャンダイズ」は元々は、「日商貿易」という社名で、広瀬社長が創業した会社から始まります。「ペニイ商会」(現ペニイ)が 「パンアメリカン貿易」から「ペニイ商会」にガチャビ

                「バリューマーチャンダイズ」の広瀬さんからガチャガチャ歴史を語る|ガチャガチャ・ガチャポンラボ
              • 今野産業は日本のガチャガチャの礎を築いた!ガチャガチャ功労者の今野さんに感謝!|ガチャガチャ・ガチャポンラボ

                ガチャガチャを日本に拡大させた功労者であるガチャガチャの王様の今野明久さん。今野さんが2016年3月26日に永眠され、もう3年の月日が経ちました。 ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。 今野産業のガチャガチャの歴史を振り返る 今野産業社は、墨田区の曳舟にあります。昭和44年に設立されました。今野明久さんもペニイ商会の前身パンアメリカン貿易で働いていましたが、すぐに独立し日本のガチャガチャのメーカーとしてビジネスを開始します。 目利きがある今野さんは、お土産の根付けを製造するための木型職人達にガチャガチャ向けの戦車や戦闘機 そしてキャラクター等の原型を依頼します。そして精巧なミニチュアフィギュアを販売します。 香港からの引き物から日本のオリジナルのガチャガチャへガチャガチャの商品化を積極的に進めていくことで、日本のガチャの礎を築いていったのです。

                  今野産業は日本のガチャガチャの礎を築いた!ガチャガチャ功労者の今野さんに感謝!|ガチャガチャ・ガチャポンラボ
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