北方領土問題などを話し合った安倍首相(右、当時)と、ロシアのプーチン大統領=2016年12月、山口県長門市の「大谷山荘」 日の丸を背負う「気概と矜恃」を感じることが稀(まれ)な岸田文雄政権のふがいない外交姿勢を見るにつけ、「安倍外交」が一種の憧憬と郷愁を持って思い返されるこの頃である。 しかし、将来に誤りなきを期すためには、手放しの礼賛は禁物だ。冷徹に是々非々で得失を論じるべきだろう。 そうした観点からは、やはり「あの北方領土交渉は何だったのか?」という省察は不可欠だと思う。 「日本最大の離島」(沖縄本島よりも大きい)と称されてきた択捉、そして「第2の大きな離島」である国後をあきらめれば、色丹、歯舞諸島の「2島」は返ってくるのではないかとの幻想と期待値を高めながら、具体的成果につながらなかった。 「中露に楔(くさび)を打ち込む」との正当化は、その後のウクライナ戦争をめぐる中露接近、ウラジー