アレな公共政策ポスターといえば、やはり1978年に科学技術庁が作った原子力の日ポスター。「エネルギー・アレルギー」という反原発運動に対するイデオロギーもろだしのコピーと相まって、「なんでヌード?」「この人だれ?」的なしろものだった… https://t.co/uvjdE9BGZN
坂本龍一氏の「たかが電気」演説は電力自由化演説だった。反原発運動は電力自由化運動だった。 電力自由化で何者がどのようなメリットを得たのか。その結果いまどうなっているのか。 著者:K(カトウ)ヒロ (K+H:プロジェクト) 「たかが電気」演説の内容を理解している人は少ない2022年5月13日22時26分、横浜市北部と隣接する川崎市の一部で6万7000戸が停電し翌5時30分頃ようやく復旧した。聞き取りやネット上の声を集めると電車が止まり、マンションのオートロックが作動しなくなり、交差点で信号が消え、真っ暗闇になった自宅階段を滑り落ちた人がいて、動物病院で緊急手術中だった犬は通電している医院に送られるなど様々な混乱が発生していたのがわかる。 この停電の原因は地中に埋設してあった電線を重機が破壊したためだが、政府が節電を呼びかけるほど電力事情が逼迫するなか、この夏は停電によって人命に関わる事故が発
女優の木内みどりさんには、反原発運動に参加するようになって「忘れられない日」があった。2012年12月に行われた東京都知事選前の「ある寒い冬」のことだとインタビューに語っていた。東京・有楽町で街宣カーの上に立って司会を務めた時、くじけそうで「半泣き状態」になったという。木内さんの死後、私はこの日がいつなのか特定したいと思うようになった。【企画編集室・沢田石洋史】 街宣カーで司会をした「ある寒い冬」 この連載を開始した20年8月以降、木内さんが反原発運動にどのように関わってきたか可視化したいと考え、年表の作成を始めた。現在もコツコツと更新している。やがて、「据わりが悪い」と感じるようになったのは、いつから司会を引き受けるようになったのか、判然としなかったからだ。 「さようなら原発1000万人アクション」のホームページに、木内さんが司会者として初めて登場するのは、連載15回目で示したように、東
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