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古橋悌二の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 山中透と古橋悌二による初期のダムタイプ活動の功績を振り返るメモラビリア展、4月6日からDELIにて開催。conatala/pianola recordsとEM Recordsが共同で企画。 | paperC

    本特集では、ドキュメンタリーとフィクションの関係やその境界について向き合いました。それは、「事実」「作為」「理解」というような言葉の定義や、それらに付随する葛藤の輪郭をなぞっていくような作業であり、あらためてドキュメンタリーとフィクションの境界というものがいかに流動的で、相互的関係にあるかを感じています。 人が食べるという行為をインタビューを通して観察・分析してきた独立人類学者の磯野真穂さんとの対談では、他者を理解することについて言葉を交わしました。また、現代フランス哲学、芸術学、映像論をフィールドに文筆業を行う福尾匠さん、同じく、映画や文芸を中心とした評論・文筆活動を行う五所純子さん、そして、劇団「ゆうめい」を主宰し、自身の体験を二次創作的に作品化する脚本&演出家・池田亮さんの寄稿では、立場の異なる三者の視点からドキュメンタリーとフィクションの地平の先になにを見るのかを言葉にしていただき

      山中透と古橋悌二による初期のダムタイプ活動の功績を振り返るメモラビリア展、4月6日からDELIにて開催。conatala/pianola recordsとEM Recordsが共同で企画。 | paperC
    • “LIFE WITH VIRUS”:ニューヨークの古橋悌二 エイズと社会ウェブ版560 - ビギナーズ鎌倉

      ウイルスがいるのは、いまに始まったわけじゃないよ・・・というごくごく当たり前の指摘をしたいわけでもないのでしょうが、2日ほど前から“LIFE WITH VIRUS”: Teiji Furuhashi in New York というイベントのお知らせをFacebookでみかけるようになりました。旧知の皆さんからの紹介でもあり、非常に心惹かれるイベントのようではあるけれど、何があるのかちょっと分かりにくい。 この際、ニューヨークのVisual AIDSのサイトにある大元のUPCOMING EVENTを見てみましょう。 visualaids.org 当然ながら、英文です。したがって、英語に不自由なおじさんとしては、どうもまだ分かりにくいですね。もう、この際ついでに・・・ということで、勝手に日本語仮訳を作成しました。 ああ、なるほど、4月30日にトークのイベントがあって、それを中心に4月26日から

        “LIFE WITH VIRUS”:ニューヨークの古橋悌二 エイズと社会ウェブ版560 - ビギナーズ鎌倉
      • 古橋悌二 - Wikipedia

        この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "古橋悌二" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 古橋 悌二(ふるはし ていじ、1960年7月13日 - 1995年10月29日)は、日本の現代美術家、メディア・アーティスト。 京都府京都市出身。京都市立芸術大学大学院構想設計科修士課程修了。1984年にダムタイプ(Dumb Type)を結成し、以降中心メンバーとして活動[1]。1992年にゲイであることとHIVキャリアであることを公表し[2]、1994年にはジェンダー、セクシュアリティ、国籍、人種をテーマとしたメディア・パフォーマンス作品「S/N」をオーストラリ

        • とてつもなく複雑な心の内奥に触れる―ダムタイプ古橋悌二が語るアートの役割 - webDICE

          Teiji Furuhashi portrait (photo by Tony Fong) 京都を拠点に世界のアートシーンに大きな影響を与えた、マルチメディア・アーティスト集団「ダムタイプ」の中心的メンバーで、1995年にHIV感染による敗血症のため死去した古橋悌二。彼の生誕記念日である7月13日(土)に京都メトロにてパーティ『"LOVERS 59" Teiji Lovers Birthday Bash』が開催される。 webDICEでは、1995年2月にアップリンクが発行した雑誌『骰子/DICE』に掲載のインタビューを再掲する。24年前に行ったこのインタビューの後、95年10月29日に古橋さんは亡くなった。アップリンク的には、前年の94年2月にデレク・ジャーマンがエイズで亡くなっている。当時、エイズは不治の病だった。 このインタビューは、改めて今読み返しても、1ミリも古さを感じることなく

            とてつもなく複雑な心の内奥に触れる―ダムタイプ古橋悌二が語るアートの役割 - webDICE
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