戦後は洲崎パラダイスと看板を掛け替えた洲崎遊廓跡は、そのまま現在の東陽1丁目にあたる。 Googleマップで「東陽1丁目」と入れた街区全体が旧洲崎遊廓跡今でこそ海が遠くなったが、明治期の地図で確かめれば一目瞭然、出島のように突き出ており、石川島監獄の囚人を使役して造成した埋め立て地である。 『東京一目新図』に描かれた洲崎遊廓(洲崎弁天町)(国際日本文化研究センター所蔵)廓の入り口には洲崎橋が架けられ、戦後は橋の袂にあった一杯飲み屋を舞台にした短編集『洲崎パラダイス』を昭和30年、芝木好子が著した。これを原作とした川島雄三監督『洲崎パラダイス赤信号』も昭和31年に映画化された。 さらに歩を進めると、北方領土返還を求める看板が目に入ってくる。街歩き界隈では珍スポット扱いされている節がある当看板の設置主体は、右翼団体の「憂国青年同盟」である(管理は複合組織「民族革新会議」)。 洲崎橋跡に立つ北方