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唐大和上東征伝 鑑真の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ

    天正元年(元亀三年・1572年) 二月十五日 琉球 首里城 皇帝勅諭琉球王国中山王尚元 奉天承運皇帝制曰 琉球与明朝的関係併不新鮮很久以前洪武五年就開始進貢二百年来一直以諸侯的名義進貢祭祀正朔 這不僅是以皇帝的名義出兵更是在琉球危難之際以天子之徳消滅敵人然而最近一個国家的出現擾乱了這個秩序這是日本 雖是与琉球一様的東方朝貢国也有幕府却違抗朕的命令図謀統治小琉球這是非常不尊重的行為 根拠具体情況必須以武力宣佈命令当時正元要求他与阿基拉一起参加日本的戦敗 隆慶五年(1571年) 十二月二十六日 天命をうけた偉大なる中国の皇帝が、詔を伝える。琉球と明との付き合いは今に始まった事ではない。 はるか昔の洪武五年より朝貢を始め、二百年にわたって臣の名義で方物(土地の産物)を献上し、正朔(「天子」の元号と天子の制定した暦を使用すること)を奉じてきた。 これはひとえに、皇帝の名により出兵させるだけにあらず

      第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ
    • 第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ - 『転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~』(姜維信繁) - カクヨム

      天正元年(元亀三年・1572年) 二月十五日 琉球 首里城 皇帝勅諭琉球王国中山王尚元 奉天承運皇帝制曰 琉球与明朝的関係併不新鮮很久以前洪武五年就開始進貢二百年来一直以諸侯的名義進貢祭祀正朔 這不僅是以皇帝的名義出兵更是在琉球危難之際以天子之徳消滅敵人然而最近一個国家的出現擾乱了這個秩序這是日本 雖是与琉球一様的東方朝貢国也有幕府却違抗朕的命令図謀統治小琉球這是非常不尊重的行為 根拠具体情況必須以武力宣佈命令当時正元要求他与阿基拉一起参加日本的戦敗 隆慶五年(1571年) 十二月二十六日 天命をうけた偉大なる中国の皇帝が、詔を伝える。琉球と明との付き合いは今に始まった事ではない。 はるか昔の洪武五年より朝貢を始め、二百年にわたって臣の名義で方物(土地の産物)を献上し、正朔(「天子」の元号と天子の制定した暦を使用すること)を奉じてきた。 これはひとえに、皇帝の名により出兵させるだけにあらず

        第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ - 『転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~』(姜維信繁) - カクヨム
      • 【悲劇の宰相 長屋王】(3)仏教に帰依 鑑真の来日実現を後押し

        平城宮跡に復元された遣唐使船。長屋王が唐僧に寄進した袈裟も運んだのかもしれない=奈良市奈良時代前半、聖武天皇の下で政権首班を担い、律令政治を行った長屋王(676?~729年)は、仏教に深く帰依していたことでも知られる。当時の仏教界に大きな影響を与えた唐僧・鑑真(688~763年)の来日も、長屋王の唐の仏教への貢献がその後押しになったといわれる。長屋王は藤原不比等の霊を慰めるために興福寺北円堂(奈良市)を建立するなど、造寺や大掛かりな写経事業を展開する一方、民間布教を進めた高僧・行基の集団を想定したのか、法による取り締まりの強化も打ち出している。 唐に千着の袈裟(けさ)待望されていた鑑真が日本に到着したのは天平勝宝5(753)年のことだった。来日を志してから10年以上、5度にわたって渡航に失敗し、多くの苦難に遭いながらも屈することなく、来日を果たした。奈良時代の漢学者、淡海三船(おうみのみふ

          【悲劇の宰相 長屋王】(3)仏教に帰依 鑑真の来日実現を後押し
        • 《特別寄稿》平安貴族も食べた芋粥=実は粥ではなく高級デザート=サンパウロ在住 毛利律子 - 南米の鼓動をキャッチ! ブラジル日報

          「古今姫鑑」で描かれた紫式部(月岡芳年/画、1876年、Tsukioka Yoshitoshi, Public domain, via Wikimedia Commons) こちらに移住して以来、日本語テレビ番組ではNHK国際放送やその教養番組を見る機会が増えて、ずいぶん賢くなったような気がする。特に毎年、一年を通じて、歴史上の人物の生涯を描いた大河ドラマを観ることは楽しみの一つとなった。 今年は世界最古の長編文学「源氏物語」の作者・紫式部である。放送は始まったばかりだが、これは出だしから、単に美しい一巻の絵巻のような古典物語ではなかった。1000年前の生々しい権力構造社会の闇が、これでもかと暴露される。高貴な人々の中に潜む人格破綻的行動、立身出世のための熾烈な内部抗争、権謀術策の数々貪・瞋・痴の三毒にまみれた所業が繰り広げられ、固唾を飲んで見入ってしまう。今も昔も変わらないではないか。全

            《特別寄稿》平安貴族も食べた芋粥=実は粥ではなく高級デザート=サンパウロ在住 毛利律子 - 南米の鼓動をキャッチ! ブラジル日報
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