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教養主義の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 【追記あり】教養って文化資本に恵まれた奴がマウントを取るための道具だろ

    文化資本ガチ勢がガチ勢同士でつるむためのチケットでしかないだろ。くだらねえよ。意味ねえじゃん。 教養なんてあっても幸せになんてなれないし、むしろ邪魔まであるだろ。 自分で言うのもなんだが、俺にはかなりの教養がある。つまりお前に意見をするチケットがある。こんな話は反吐が出るから詳しくは言わないが、文系、理系、文化、芸術などなど、どの点をとっても俺の教養パワーにはほとんど隙がない。なぜ隙が無いのか?文化資本に恵まれているからだ。 どうして俺が反吐を出しつつも、こうして自分に教養があることを声高に主張するのかというと、教養のあるみなさん(笑)は教養の無い人の意見を聞いてくれないからだ。 教養のある皆さんにもよく考えてほしいんだが、教養のある奴が、教養のある故に幸福になっているところを見たことがあるか? 無いよな。 教養があって幸福なやつは、持ち前の向学心によって身についた職業に関する専門的な知識

      【追記あり】教養って文化資本に恵まれた奴がマウントを取るための道具だろ
    • サブカルチャーと冷笑|雑誌『広告』

      テキストユニット TVOD 『広告』文化特集号イベントレポート 去る5月15日、下北沢の書店「本屋B&B」にて『広告』文化特集号の発売記念のトークイベントを開催しました。テーマは「サブカルチャーと冷笑」。2010年代以降、SNSでの政治的や社会的な活動の盛り上がりとともに、たびたび話題となった「冷笑」というキーワード。ここ数十年における「サブカル」的な感性のなかで醸成されたものとも言われる冷笑的態度は、どのように生まれ、どこへ向かうのか。文化特集号で「120 SNS以降のサブカルチャーと政治」の記事を寄稿いただいたテキストユニットTVODのコメカ氏とパンス氏をゲストに迎え、『広告』編集長の小野も交えながら語り合ったイベントの模様をお届けいたします。 現代における「冷笑」とは何か小野:最初に、なぜ本日のテーマが「サブカルチャーと冷笑」となったのか。そこからお話しいただいてもいいですか。 コメ

        サブカルチャーと冷笑|雑誌『広告』
      • SNSにおける教養は「人を殴るための棒」...民衆に殺される時代に「ジャーナリズムの未来」はあるのか?

        『アステイオン』1986年の創刊号から、初期の原稿をたどり「ああ、寄稿者の多くがご逝去されていて、本当によかった」と思ってしまった。あの方々がいま生きていらしたら、誰か一人くらいは民衆に殺されていただろう。 普段、イエロー・ジャーナリズムで日銭を稼いで暮らしている私だが、たまに堅気の文も書く。ちょうど数日前に初稿をあげたのは、日本の「弱者男性」に関する特集で、日本人の3人に1人は、障害や貧困などに苦しめられる、弱者男性によって占められているという話であった。 つまり、男性の過半数は何らかのハンデを背負って生きているという推計である。そんな彼らが、当時の好景気に後押しされた教養主義にあふれる創刊号を目にしたら、革命の狼煙があがったやもしれぬ。 2号には袴田茂樹氏の「『知識人群島』ソ連」が掲載されており、そこにはロシアの民衆へ、同情的な言葉が並ぶ。 「『不足経済』の状況下では、商品や物的環境は

          SNSにおける教養は「人を殴るための棒」...民衆に殺される時代に「ジャーナリズムの未来」はあるのか?
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